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社会を良くするプロトタイプのつくり方

新しい日本の社会をリデザインする。
ソーシャルデザイナー/プロデューサーたちの「新しいビジネスの生みだし方」に迫るインタビュー・マガジン。

#019 右肩下がりの時代における新しい街づくり

「原っぱ」と「コンテナ」を通して市民の自発性を引き出す

「わいわい!! コンテナ」とは、ドーナツ化現象によって空洞化してしまった佐賀県佐賀市の中心街に、駐車場に芝生を植え、コンテナを設置して図書館をつくったプロジェクト。このユニークなプロジェクトが、どのようなプロセスを経てプロトタイピングされ、実現に至ったのか。「わいわい!! コンテナ」の中心となった建築家西村浩氏に話を伺った。

PROFILE

西村浩
1967年 佐賀県生まれ。株式会社ワークヴィジョンズ代表取締役。
北海道教育大学芸術課程特任教授
東京藝術大学美術学部デザイン科非常勤講師
日本大学理工学部社会交通工学科非常勤講師
お茶の水女子大学生活科学部 人間・環境科学科非常勤講師

設計事務所勤務を経て1999年ワークヴィジョンズ設立。建築・土木・まちづくり等、常に「まち」を視野にいれ、分野を超えてモノづくりに取り組む。主な計画・作品に、大分都心南北軸構想、佐賀市街なか再生計画、岩見沢複合駅舎、鳥羽海辺のプロムナード、長崎水辺の森公園橋梁群など。主な受賞歴に、日本建築学会賞、土木学会デザイン賞、グッドデザイン賞大賞、BCS賞、ブルネル賞、アルカシア建築賞 他多数。

EXPERIENCE

ボトムアップ型プロジェクト

市民参加を取り入れた建築デザインの経験を活かす

市民ベースで活動を展開する考えはどこから生まれたのですか?

以前、仕事で三重県鳥羽市の仕事に関わりまして、「鳥羽海辺のプロムナード(カモメの散歩道)」というものをつくりました。市民からの電話が僕の事務所にかかってきて、そのプロジェクトに参加したのがきっかけです。海沿いにあるプロムナードに、県が勝手に防潮堤を拡張し始めているとのことでした。そうすると、海辺がコンクリートの壁に囲まれてしまうんですね。ですが、鳥羽市は観光の街なので、景観が損なわれるのは大きな損失になります。ホテルの関係者や地元の市民の人達の後押しによって、そのデザインを僕が担当することになりました。市民が自主的に動くと、行政も動くんですね。また、岩見沢のプロジェクトでも同様の体験をしました。

北海道にあるJR岩見沢駅のプロジェクトですね。駅舎の壁面にレンガを積んで、ガラスサッシに古レールを使ったデザインで、グッドデザイン賞を受賞されましたよね?

当時、駅は火事で燃えてしまっていて、プレハブの駅だったんですね。駅前の広場は誰もいなし、周辺の商店街はシャッター閉まって駐車場ばかりでした。これは建築をつくるコンペだったのですが、僕は街の再生プロジェクトとして提案したんですよね。参加者の名前と出身地を刻印するなど、市民の参加性もデザインとして取り込んでいます。すると、駅のリニューアルをきっかけにさまざまなプロジェクトが市民を中心に動いていいきました。もちろん、ケースによっては限界があると思いますが、「市民というのはすごい、やる気出せば街を動かす力になるんだ」ということをそこで学びました。ですので、この「わいわい!! コンテナ」も市民の方々と一緒に動かすものであるべきと考えていました。

PROBLEM

右肩下がりの時代

中心街において駐車場が乱立、ドーナツ化現象によって商店街が低迷

まず、佐賀市に行かれてどんなことを感じました?

街について言えば、僕らが子どもの頃は、とても賑わっていたんですよ。ですが、30年ぐらいの年月を経て、「これが街なの!?」と感じてしまうぐらいに中心街が空洞化していました。高度成長期には人口密度が高い状態で街が拡大していったのですが、最近では人口密度が低下し、潰されたビルや撤去された住宅の後に、駐車場が次々とつくられていました。いわば、街が虫食い状態になってしまっているという印象でした。

街の現状を見て、すぐにこうしよう、というアイディアは出てきましたか?

正直言うと、すぐには出てこなかったです。はっきり言えば、みんなわからない。社会の価値観が急激に変わっている時代ですから、当たり前です。いままでは右肩上がりの経済成長が前提で、戦略を立てることが中心でした。ですが、右肩下がりの時代を経験したことのない我々が、今の時代に適した施策を行うことは難しい。私にもわからないですよ。

そんな時代の中で、どのようにヒントを見つけ出すべきですか?

一つ間違いないのは、右肩上がりの時代にやっていたことの延長線で仕事をすると、必ず失敗します。ですので、下がっていく時代に何が起きるのかをシミュレーションしながら、僕はこの街を舞台に仕事をしようと試みました。その中で考えないといけないことは、街の行政や経済に関する仕組み。この仕組みごと変えていかないと上手くいかないですね。

西村さんがお考えになる街づくりの理想とは、どのようなものでしょうか?

先ほど言ったように、ボトムアップ型のプロジェクトになることが大切です。地方の行政は右肩上がりの時代の方法論からなかなか離れることができない。しかし、その変化の鍵となるのは市民の存在なんです。市民がやると言えば、行政や政治が動く可能性が高まります。

市民のニーズが行政や政治家に届けばプロジェクトが展開しやすくなると?

そうです。今は縮小の時代。大事なのは政治的決断です。右肩上がりの時代は決断しなくても、上り調子だから何をやってもみんな喜んでくれる。ですが、右肩下がりの時代というのは、政治的決断で物事動かしていく必要にどうしても迫られます。痛みを伴う制度改革を行わない限り、前には進めませんから。その決断を促す提案を、僕らができるかどうか。トップが喜ぶ提案ばかりをやっていたら、いい街づくりにはつながりません。

PREFACE

地域コネクション

1年間継続して佐賀市に足を運び、地元の人々と交流

そこで、市民参加型の街づくりである「わいわい!! コンテナ」は、どのようなきっかけで始まったプロジェクトだったのですか?

僕は佐賀市の出身なのですが、佐賀の市民の方から電話があったのが一番初めのきっかけです。「街づくりを頑張りたいのでぜひ来てください」と。地元なので行ってみようと考えまして、1年間ぐらい通い続けて地元の方々と飲んでいたんですよ(笑)。すると、どんどん人のつながりが増えてきまして、終いには役所の方ともつきあうようになりました。

1年はかなり長いですね?(笑)

そうですね(笑)。ですが、その期間を通してコネクションが増えたことは間違いないですね。みなさんと気楽に腹を割って話すことができましたし、何よりも信頼関係が生まれたことが大きい。すると、「西村が言うんだったらちょっとやってみようか」とか、「ちょっと嘘くさいけどやってみようか」とか(笑)、そう言っていただけるようになる。その流れで、街をなんとかしたい、特に中心街を活性化したいので、戦略づくりからやって欲しいって言われまして、それがこのプロジェクトの始まりでした。

IDEA

既存発想のリセット

移動しやすいコンテナを活用し、中心街の空き地に集客施設と原っぱを設計・デザイン

「わいわい!! コンテナ」は、空き地だった土地を原っぱに変えたプロジェクトです。芝生を張って原っぱにするアイディアとはどこから生まれたのですか?

やはり街なかに子ども達がいない、遊んでないと感じたんですよね。道路や駐車場ばかりで、遊ぶところがないわけです。芝生の原っぱがあれば、子ども達もやって来ます。

まずは子どものため、という狙いだったのでしょうか?

お年寄りもいますね。街を見ると、お年寄りの方々が散歩している姿をよく見かけるのですが、途中で休む場所がない、という声を聞きました。長い距離を歩き続けることは難しい。であれば、緑があって休める場所があるということは大切です。また、街にとって、子どもの存在は重要なんですよね。子ども達が遊べるということは、若い夫婦が生活できるということにつながります。彼らが安心して心地よく暮らせる環境を考えると、緑の存在はとても大切。若い人からお年寄りまでが暮らせる環境ができると、街に活気が生まれます。

なぜ公園ではなかったのですか?

キーワードは「原っぱ」ですね。いわゆる、ドラえもんの「原っぱ」です。土管などが置いてあるイメージです(笑)。今の公園は管理されていて、行動に制約も多い。行政主導の空間になります。ですが、昔の「原っぱ」は、土管に入りこんだり、基地を作ったりと、自由なイメージがありますよね。トップダウンで管理されない、自由な「隙間」こそが大切だと僕は感じました。そこに、どのようなコンテンツがあれば人が集まるかを考えて、図書館を置くことを実験してみました。図書館は昔、街なかにあったんですよ。でも今は郊外に出てしまっている状況です。

その図書館がコンテナ内で展開されていますが、コンテナにしようと思われたきっかけは?

動かせるということが大事だなと思ったんですよ。基本的には社会実験ですから。いろんな空き地でコンテナを使っていくということを考えました。また、リースにする、不動産を動産にして扱う、ということがコンテナだと可能です。たとえば、このプロジェクトは行政から援助を受けているのですが、不動産で持ってしまうと、他の場所には移動できない制約が生まれます。不動産ですと条例まで作る必要がありますので、ハードルが非常に高くなり、実験ができなくなりますね。

コンテナの一番初めのアイディアはどこから生まれているのですか?

昔、F1の放送を見ていた時、後ろのバックヤードでメディアセンターをつくっているのを観まして、あの建物もコンテナ的な仕組みでした。簡単に組み立てることができるものなんです。これはいいな、とその時感じました。

コンテナの魅力はどんなところにあるのでしょうか?

移動店舗がいいな、と思っていまして。たとえば、都内の河川敷によく移動店舗があるじゃないですか?街づくりのプロジェクトで、空き地が増えてきた景色を見た時、コンテナは使えるな、と思いました。社会実験として、コンテナの中に図書館があったら絶対に人が集まるよな、と。さらに、コンテナを使ったプロジェクトをリースで展開できれば、行政も借りやすい環境になります。

このプロジェクトはかなり斬新なアイディアがつまったものだと思いますが、考え方やアプローチ方法など、既存の方法から離れるために、どのような姿勢が必要ですか?

知っていることをあえて忘れ、新しいことを発想できるか、にかかってくるのではと思います。知らないふりをすることが大事なんですよね。

ですが、知らないふりをすることは難しいですよね?

確かにそうですが、さまざまな現実についてまず知らないことにする。そして理想を描くんです。そしてこれこそが理想とすべき方向性だと感じた時、何が障害かを見つけ出し、それを変えないといけない。その障害を乗り越えるための戦略を立てることが、これからの時代に求められることです。

PROTOTYPE

自発性を引き出す仕組み

「原っぱ」をつくることによって市民の積極的な活動を引き出し、商店街を活性化

「わいわい!! コンテナ」の立ち上げについてお聞かせください。

佐賀市に通う中で、人と人とのつながりによってプロジェクトが動いていきました。このプロジェクトは行政が手がけたように思われているところもありますが、コンテナは地元の工務店が自費で作っていますからね。工務店がコンテナを作って、行政にリースで貸しています。コピー機と一緒なんですね。すると、行政も借りやすいし、1年間終わったら返せばいい。コンテナだから違う場所にも持って行けます。

市民の方の一番初めの反応はいかがでしたか?

市民のみなさんは心配していましたよ。実はコンテナは中古のものでして、現地に運ばれた時はボロボロの状態。「これ大丈夫?」って言われまして(笑)。ですが、水色にカラーリングしたり、入り口も大きく開けたりすると、意外と快適。「コンテナの中に住めるんじゃない?」なんて言う人まで出てきました(笑)。

コンテナの中身は図書施設が中心ですね。

この実験地域には本屋がない状態でした。コンビニさえも大してない。ですので、海外の雑誌や絵本、老人向けの趣味の本などを準備しました。すると世代を超えて人が訪れてくれました。同時に、人がコンテナに集まり出すと、その周囲の商店街がアイディアを出し始めます。この人達をどうやってお店に引っ張ろうと考え始めるんです。街づくりのポジティブな流れの起点になりました。

運用されて何か問題などありましたか?

予想していなかったことが見えてきますね。夏休みに、子ども達がキャラクターのカード遊びをしにやって来て、静かに本を読みたい人とバッティングする、ということがありました。訪問者ごとのメリットを整理して、雑誌を読むスペース、談話が中心のスペース、あるいは遊ぶためのスペースなどと、エリアを分ける必要がありました。

どのような効果がありましたか?

今までは駐車場ばかりの寂れた風景でした。閉まったシャッターと駐車場。どこに行ってもそのような同じ風景が続きます。しかし、駐車場が緑になると、人々が集まるようになり、周囲のエリアがその原っぱに向かって活性化するのです。周りの建物がリノベーションやコンバージョンを試みるようになる。それがこのプロジェクトの狙いでした。既存のストックを活かしながら、新しい街の仕組みをつくろうとする意欲を市民から引き出すことが目標でした。

あくまでも市民に主体性を持たせることが重要なんですね?

そうです。今までの中心街の居住は、マンションを建てて「住みなさい」、あるいは高齢者住宅と医療モールをセットにしたものをつくって、おじいちゃんおばあちゃんに「住みなさい」、と言っていた状況でした。ですが、そもそも住みたくない街に、箱だけ作って住みなさい、と言う考えがおかしいですよね。そうではなく、緑の環境ができれば、散歩もできるし子育てもできる。すると、「住みたい」という動機が人々の間に生まれる。ですので、テナントしか入っていないビルを、住居向けにコンバージョンしようという発想が起こりますよね。それを促すためのツールが、緑なのです。この緑をきっかけとして、人が集まったり、コンバージョンやリノベーションの動機が自然と起こり、物作りの場が生まれるのです。

今後の展開をお聞かせください。

「わいわい!! コンテナ」を別のところにもう1個作る予定になっています。ひとつの「点」だったのがふたつになることによって、「面」へと広がります。さらにコンテナが点在するようになると、「面」の中を回遊する動機が生まれます。そうしながら緑を増やしていきたいですね。このプロジェクトの意義は、人が集まることによって商店街がどのように自ら発想し、新しい仕組みを生みだすことができるかを実験することでした。駐車場が「原っぱ」になると街が変わると実証できたことは、これからの街づくりに関する変革の一歩だと考えています。




株式会社ワークヴィジョンズ 
わいわい!! コンテナ プロジェクト
岩見沢レンガプロジェクト事務局

【取材・文:小島弘光(株式会社エクスライト)/写真:船橋友久株式会社コパイロツト)】

#018 自律型人材を育てる生態系(エコシステム)デザインの本質

宮城さんが代表を務めるETIC.は若者を中心にアントレプレナーシップを啓蒙してきた社会イノベーションコミュニティの中心的な存在。ETICとは、”Entrepreneurial Training for Innovative Communities”の頭文字をとったもので、次世代を担う若者への機会提供を通じて、これまで様々な起業家型リーダーを輩出してきた。事業の柱となっているのはインキュベーション事業、起業家型リーダー育成事業、そしてコミュニティ展開事業。代表的なプログラムであるインターンシップには学生2000人以上、企業650社が参加し、200人以上の起業家を輩出している。そんな人づくりのプロフェッショナルである宮城さんに、その本質について聞いてみた。

PROFILE

宮城治男
NPO法人ETIC. 代表理事
1972年、徳島県生まれ。早大第二文学部卒。早稲田大学在学中の1993年、学生起業家の全国ネットワーク「ETIC.学生アントレプレナー連絡会議」を創設。また東京渋谷発のITベンチャーのムーブメント「ビットバレー」の仕掛け人の一人であり、若手起業家らが作る「Bit Valley Association」(BVA)の事務局長を務めた。2000年に「ETIC」NPO法人化、代表に就任。起業家型リーダーの輩出と社会にイノベーションを生み出すことを目指し、大学生へのキャリアデザイン支援事業、ベンチャー企業やNPOへのインターンシップ事業等に取り組む2001年にETIC.ソーシャルベンチャーセンターを設立、2002年より日本初のソーシャルベンチャー向けビジネスプランコンテスト「STYLE」を開催するなど、社会起業家の育成、輩出にも取り組む。 現在は全国各地での若者のチャレンジと地域変革に取り組むプロデューサーの輩出、支援にも注力。早稲田大ビジネススクール非常勤講師。地域活性化伝道師。

1. アントレプレナーという選択肢を創る。

宮城さんがこうした活動を始められたのは大学生の時ですよね。そのきっかけは何だったのですか?

もともと同世代の人が目標を見失っているのではないかという危機感や閉塞感があったんです。当時は就職というと大企業という認識が強固。自分自身の尺度ではなく、他人の尺度、偏差値やブランドで選ぶわけです。でも就職した先輩たちから聞こえてくるのは会社や上司の愚痴。そんな生き方をみんなおかしいと思いながら、他に選択肢がなくてなんとなくその流れにのっている。この状況をすごくかっこ悪い、もったいないと思っていました。また時代が変化して、社会が価値観が変化していく中で自分たちの世代にとっての幸せとは何だろうと考えていました。

そんな大学二年生の時に、サークルの先輩を通じて、自ら起業家を選ぶという選択肢があることを知りました。これまで誰も教えてくれなかったけど、仕事というのは自分で創ることができるのだと。これはとても大きな気づきでした。ただ、その時は自分で起業をしたいというよりは、こういうことを知ったら、これで燃えて頑張る奴は必ずいるはずだ、と思ったのです。まず同世代の人たちに「自分で会社を創ることで、新しい可能性を切り開いていける」という人生の選択肢があることを伝えたい。それにより彼らの人生観を変えるようなインパクトを与えていきたい。自律的に未来を切り開いていく意志を持つことができる、そうした人が育つ機会を提供したい。そう思ったのがきっかけです。

宮城さん自身、影響を受けた起業家の方がいらっしゃるのですか?

数多くの方々のお話に影響を受けていると思いますが、アントレプレナーセンターの福島正伸さんとの出会いは大きかったです。大学二年の時に講演会に行って、その場で修行させてくださいと御願いしました(笑)。別に募集などしていなかったのですが、直談判してアルバイトをさせて頂くようになりました。

福島さんのどういったところに魅かれたのですか?

講演会で彼が「世直しをしたいんだ」という話をされました。くさい言葉ですが、考えてみればそういうことを正面きって言える大人にこれまで会ったことがなかったのです。今思うと、彼は当時から社会起業家だったわけです。そういう仕事のスタンスがあるんだと気づかせてもらいました。「社会をよくしたい」という、何の市場性のないような志を追求していくこと。それを貫いた先に事業が生まれる。そんなことを仕事にしていてもいいのだ、という一つの確信をもつことができました。その頃、既にETIC.はスタートしていましたが、福島さんとの出会いで、これを仕事にしていこうと決心したんです。

2.社会起業家という生き方

立ち上げ当初、IT分野などのスタートアップ支援や、ベンチャーへのインターンシップに注力されていた宮城さんですが、最近は社会起業家を育成する方へ軸足を移されているようにも見られますね。宮城さんの中で、ベンチャーと社会起業家の違いはあるのでしょうか?

私としてはベンチャー支援とはいっても、もともと社会起業家的な人たちを育てたいと思っていましたし、そういう人たちに活躍してほしいと願って活動してきました。また自分が尊敬していた起業家の先輩方も、事業の中身は従来のビジネスかもしれないけど人間としてはそういう社会性の高い志を持った方々でした。今でも当然ご縁が続いています。そして当時は、そもそも起業にチャレンジする人が少ないこと、そのものが社会課題であり、起業するということを社会に提示することにソーシャルなインパクトがあった時代でした。また言葉としての社会起業というのもなかったし、それを打ち出すというタイミングでもなかったとえます。

ただ2001年ぐらいから、あえて私たちは社会起業という言葉を提案し、打ち出すようにしました。その理由はいくつかあります。一つは自分たちの社会的な役割の変化です。ITベンチャーブームもあり、起業というのが社会に浸透したことでベンチャーキャピタル等ビジネスとしてベンチャー支援をする機能が社会に定着してきました。そのためその分野でのNPOとしての自分たちの役割がある程度終わったと考えたのです。もちろんそこでNPOでなく、ベンチャーキャピタルになるという選択肢もありえたわけですが、自分がやるべき役割ではないと判断した。より社会必要としていて、まだモデルがなく、市場がないものを提案し、形にして社会を巻き込んで変革を起していく。それがNPOのスタンスで事業を行う我々の役割だと思いました。そこで次に掲げていくテーマとして着目したのが社会起業の領域だったわけです。

二つめの理由は、起業家としての哲学やビジョンの再認識の必要性です。ベンチャーがフォーカスされる一方で、「なぜ起業するのか」「なぜその事業をやりきるのか」という哲学について考えたり、学ぶ機会の必要性を感じました。というのも、そうしたことをきちんと考えることなく、会社を興してしまった仲間も数多くいたからです。IPOを成し遂げビジネスとしてはある程度成功しながら、株主からの多大なエゴにもとづく要求をぶつけられ、悩んでいたり、器にあわないお金を持つことは、必ずしも人を幸せにしないという現実を目の当たりにしました。そこでもう一度何のために事業を起すのかというビジョン、哲学ということを社会に対して問い直す必要性を感じたわけです。社会起業家というのはまさにその「何のために」からから事業に入るわけですね。つまり自分たちが支援し、育ててきた仲間たちの価値観の変化が社会起業というアプローチを求めていると感じた、ということです。そして、一方で、当然ですが、社会の側が必要としている。これまでの戦争や貧困、差別といった問題に加え、さまざまな「社会的課題」が人の幸せに大きく影響しているにも関わらず、従来の企業も、行政、NPOもそれに対応しきれていない。 こうしたいくつかの背景から社会起業というアプローチを発信していかなければならないと考えました。

3.自律型人間育成の生態系デザイン

数多くの学生や若い世代と接する機会の多い宮城さんですが、彼ら彼女らの成長というのは、出会った時にある程度見極めることができるものですか?

毎年、イベントなどには1万人近くの学生に参加してもらっているので、これまで10万人以上の学生と出会っていることになります。またインターンとしては2200人ぐらいの若者たちを支援してきましたが、成長が加速するタイミングというのは簡単に予測できるものではありません。私は一人一人の人生には伸びゆく時期、花咲く時期があると思います。私たちは、選抜したり序列をしたりするのではなく、その人に今何が必要なのかという視点で、ありのままを見たい。

ETIC.では生態系(エコシステム)型の人材育成アプローチという表現を使ったりしますが、その人その人に適したタイミングがあると考えて、そのための環境を用意し、その人の鏡となりコーチしていくやり方をとります。だから我々が判断したり、コントロールするという考え方はしないわけです。

我々の門をたたいてくれる学生たちに対しても選抜したり、恣意的に各プログラムに振り分けるということではなく、その人の状況に合致したものを自ら見極める、決断できるようサポートします。例えば、「インターンをしたい」と相談に来た学生にも、別のプログラムを活用するタイミングだという人にはそういうことを示唆しますし、アルバイトや大学での研究を優先した方がいい人にはそういうことを伝えるというふうにコーチし、自らの決断とコミットメントを促します。

またこの生態型アプローチというのは多様な境遇、多様な年代の人とつながれる場ができることでもあります。よく我々は成長が加速する「ツボが押される」という表現を使うのですが、このツボというのは、ワンツーワンで合致させることが難しい。例えばある学生に私がいくら良かれと思って一生懸命説教しても右から左なのに、隣の同級生ががんばっていると「俺も負けられない」とスイッチが入って頑張るということがあるわけです。ただどこがスイッチが入るつぼなのかというのは傍目にはわからない。言えるのは、本人なりの納得感です。今は自分が理解し、納得しなければ、動かない時代。引きこもる若者に対し、親父の権力を行使しても、国の権威やカネを使っても、外に出すことは容易でないです。それは学生を動かそうという場合も同じといえます。

だからこそ、彼らが自ら納得し成長するための、機会や環境を用意してあげるというアプローチをとっているわけです。今、自分にとって必要な情報・人・機会というのは何かというのを見極める力を育むことを大事にしています。そうしていると、私たちが預かりしらぬところで勝手に、自律的に成長し、協働したりしている人たちがたくさん出てくるのです。「そこでつながったのか、なるほど!」ということがよくあるわけです。

私たちに操作主義的なコントロール欲求があったり、色眼鏡で学生をみてしまうこと、生態系の活力を維持することができなくってしまいます。透明な偏りのない目で、その人にとって必要なことは何かを映し出せる姿勢をキープできることが重要なんですね。NPOをつくりたいという人に、「それはビジネスではできないのか?」今やりたいんですという人に、「それは今じゃないといけないのか?」ということを、ニュートラルの立場で問える存在であることが何より重要なのだと思います。その上で、ビジネスの側もNPOの側も行政の側もある程度理解していて、それらの中間に立てるだけの経験と知識を持っている存在であることを心がけています。そうした存在というのは実はほとんど世の中にないようですね。

まさにそこがETIC.のコアコンピタンスなんですね。そのためにはスタッフのマインドって重要になりますね?

そうです。そして、あくまでその人(学生)にとって今何が必要なのを偏りなくナビゲートしていくために、NPOであることはとても重要な影響があります。また事業戦略の意思決定の時も、今度は社会にとって今何か必要なのか、偏りのない目で見極めていくために、NPOであるというスタンスがよりどころとなりますし、社会起業として影響力を広げていく、競争力の源泉にもなります。

例えばよく「ETIC.さん、インターンシップをやる競合企業が増えて大変ですね」ということを言われることがあります。普通にビジネスの感覚でいうとあたりまえのことです。でも私たちの感覚からすると逆なんです。価値あるインターンシップを実施する組織が増えるというのは、私たちとって目指している世の中の在り様であり、重要な使命です。だからむしろそういう担い手に正しく増えてもらわなければならない。そこはビジネスの感覚とは大きなギャップがあるわけです。

ただその一方で、組織の存在意義を維持するためには常に自分たちがさらに新しいことに挑んでいかなければならないわけです。つまりどんどん競合が出てくるように情報を発信しなければならない一方で、新しい人たちが出てきたら、その人たちではできない更に新しいことであったり、更に社会が必要としているけれどもまだカタチになっていないようなことを具現化していく、新しい価値の創造ができなければ、自分たちの存在価値も、経済基盤も両方なくなるわけですよ。

常に自らの首を絞めつつ、自分たちの役割を追求していくという、時に矛盾をはらんだ動きになる。ただ、このように「これは自分たちがやるべきことなのか?」と真摯に問い続ける姿勢が、結果的にオンリーワンのポジションであったり、パートナーとの得がたい信頼関係を頂くことに繋がるのだと思っています。

そうやって生み出されてきたコミュニティこそがETIC.の最大の資産であり強みなんですね?

それがお金に換算する、計算の仕方も全くわからないですが(笑)、まさに無形の資産です。そういうことをソーシャルキャピタルと表現することもあります。

そうしたコミュニティが存在し続けられているところがすごいと思いますね。

それは一つは緩やかな<つながり>だからといえると思います。強い<つながり>だとすぐ中か外かということになる。もちろん強いつながりであれば、あるほど、収益性も高くなるともいえます。一方でゆるい繋がりで、一切お金のやり取りはないけれども、このコミュニティの中で繋がり、すごい資源を獲得し、イノベーションを創造している側にまわっている人もたくさんいるんですよね。

21世紀はそういうコミュニティやネットワークの時代ですね。

そうですね。求心力型というより、遠心力型として自律分散的に拡大していくということなんでしょうね。

4.ETIC.のジレンマとミライ

経営の視点でETIC.を見た場合、如何ですか?

大きなミッションというのは変わらず、社会の要請に応じて事業を展開していくことになると思います。社会の要請にしたがって活動してきたなかで、振り返ればオリジナルな道が開かれてきたと思っていますから。なお私たちが大事にする要請サイド、メインの顧客というのは若者です。若者たちが必要としているから、社会起業家ということも発信したわけですが、これからもこうした要請に応えていくことで新たな事業を生み出していくことになると思います。

もちろん、こうしたビジョンとは別に、実際の経営面には通常の企業と変わらない悩みも抱えています。たとえばスタッフも年をとり、結婚し、子供も生まれるわけで、同時にそれを支える経営者としてそれなりの責任大きくなり、キレイゴトだけですまされない現実の事情も出てきます。当初は収入の見込みもないような、新しい社会の要請に応えつつ、事業として成立させていかないといけないわけですから。ビジョンと実際の経営との間には、”ジレンマ”が常にあるといえます。

今後のETICの課題はどのように捉えていらっしゃいますか?

先ほどからお話してきた、挑戦を生み出す生態系システムもこれまでは、かっこよくいえばギブアウェイ。とても自由でルーズな状況にしてきました。ただここにきて、これまで潜在的な可能性でしかなかった若者たちが、社会を変える担い手として責任ある役割が期待されるようになってきたわけです。こうした状況変化もあり、ETIC.の周りでより創発が加速するような環境が生まれてきた。そこで今後は、ビジネスエコシステムともいうべき、協働を促進していくプラットフォームとしての役割を強化していきたいと思っています。たとえばメディア的な機能であったり、データベース的な機能ですね。これまでも必要性については感じていましたが、日々の私たちの前に現れる若者たちと向き合う現場第一主義で仕事をしてきたこともあり、プライオリティが低かったわけです。今後はぜひこちらにも注力していきたいと考えています。

そうした可視化のシステムができることで、より生態系の活動が活発化していくわけですね。

自律した個人が増えることで、変革を生み出す生態系は広がっていくと思っています。自ら成長し、生態系を発展させる側、自律の側に回れる人を増やしていきたいですね。でもそれは何も起業しろということではないです。起業しているけど社会や顧客に依存型の人もいます。また社会起業家と名乗りをあげても、それは結局のエゴを満たすためのファッションでしかない、という人も少なくありません。そのような見せ掛けの起業家では、影響力は広げられません。一人一人が自律して生態系の担い手になるように育つことを応援できることが、ETIC.のすべての活動に貫かれた願いでもあります。そしてそれはどんなささやかな担い手でもいいわけです。依存する側でなく、自分から創っていく側、責任を持っていく側に回れることは、本当に尊いことです。

行政がうまくいかなかったり、企業においてイノベーションが起こらないというはそこに所属している人たちが依存型だということだと思います。これは個人にその資質がないというのではなく、組織の体質が依存型にさせているという側面が強いのではないでしょうか。たとえば食品偽装などの不祥事を起こした会社も、一人個人を切り出せば、すごくまじめな、まっとうな人ばかりです。いつの間にか、相互に依存し、お互いの責任を擦り付け合うような組織が自律的な責任感や情熱を麻痺させていったと伺います。そして、依存型の人、組織がいくら集まってもイノベーションは生まれません。社会イノベーションを創出してくためにも、自らを律し成長させられる自律型人材を生み出す生態系をもっと発展させていきたいです。ETIC.の生態系で育った人たちにも、自ら外に飛び出して新たな関係性をつくってほしいですし、さらに育まれた生態系とETICの生態系をつなげて更なる拡がりを創出し、無限の発展が広がり続ける、それな環境を創り出すことが私の願いでもあります。

インタビュー後記

宮城さんと出会ったのは2年以上前のこと。ソーシャルキャピタルの政策に関わっている時にETICのイベントの参加させて頂いたことがきっかけだった。以来何度かお話をする機会はあったのだが、今回のようにまとまって宮城さんの考えを聞かせて頂いたのは初めてだった。世代が近いこともあり、お話の一つ一つに共感するところが多く、目指している世界観がとても共有できて、私自身とてもワクワクしたインタビューとなった。宮城さん、これからもETIC.の生態系に関わりながら、面白いことがご一緒できればいいですね。今後も宜しくお願いします!(早田)

LINK

ETIC.

#017 「協生」時代のアーキテクチャーの在り方~SDMを通じて見えてきたもの~

ロボティクス、アクチュエータ、触覚という科学技術の分野で研究者として著しい業績を上げられてき た前野教授。その活動フィールドは「企業」から「大学」へ、「理系領域」から「文系領域」へと拡がり ながら、常に時代の先端のものをアーキテクトされているようにも見受けられる。そんな前野さんにこれ からの社会を”アーキテクト”、”デザイン”していくことの意義や、そのために大学の果たすべき役割など について聞いてみた。

PROFILE

前野隆司
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授
1962年山口生ま れ。1986年東京工業大学大学院修士課程終了後、キヤノン株式会社入社。超音波モータや精密機械の研究 開発に従事。1995年慶應義塾大学専任講師、同大学助教授を経て2006年より同大学教授。1990~1992年カ リフォルニア大学バークレー校訪問研究員、2001年ハーバード大学訪問教員。現在、ヒューマンシステム デザイン研究室において、システムデザイン方法論(システムアーキテクティング方法論、教育方法論、 科学技術倫理)、科学技術システムデザイン(触覚システム・ヒューマンシステムデザイン)、人間社会 システムデザイン(システム幸福学、環境共生・安全システム)などの研究に従事。日本機械学会賞(論 文)、日本ロボット学会論文賞、日本バーチャルリアリティー学会論文賞等を受賞。著書に『脳はなぜ「 心」を作ったのか』(筑摩書房)、『脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?』(技術評論者)などが ある。博士(工学)

システムデザイン・マネジメントの必要性

ロボティクスの分野で実績を上げられてきた前野教授がこの新しい大学院、システムデザイン・マネ ジメント研究科(以下、SDM)に移られたきっかけは何ですか?

よく聞かれますね(笑)一言でいうと面白そうだからということですが、何より日本の現代教育に最も 欠けているといわれている『大きなビジョンを描く人材の育成』というコンセプトに共感したことが最大 の理由です。

昨今、よく言われていることですが、これだけ価値観が変化し、社会が多様化・複雑化してくると、既 存のやり方でなくシステムそのものをどう再構築していくかという発想が必要になります。私がこれまで やってきた「技術システム」もそうですが、「社会システム」についてもまさにこうした前提にたち、未 来に向けて再構築することが必要となってきているわけです。(※参考:SDMの理念)

まさに未来を創る”デザイナー”とも言えるわけですが、こうした「答えのない」ことを一緒に考えなが ら、学ぶためには、一方的に知識を伝授したり、先行研究だけを追いかけていては、満足な成果を出すこ とはできません。様々な立場を超えた人々の融合を実現するための実験場(メルティングポット)を創生 することが大切なのですね。

実際SDMでは、こうした新しいコンセプトを実現していくために”文理融合”で、かつ様々なバックグ ランドを持つ社会人に参加してもらうための『半学半教』の場づくりを実施しています。これまで誰もや ってこなかったことだからこそ、とてもやりがいがありますね。

大きな体系としては、MBAのような専門職大学院的なものも取り入れつつも、システムズエンジニアリ ングなどの理科系のシステムデザイン方法論をベースにシステマティックに教育・研究を行っていくとい った内容になっていると思います。これも試しながらどんどんよりよいものへ育てていきたいと考えてい ます。

またちょうど私自身の研究者としての転機とも重なっていたように思います。学会の論文を通じた研究 成果のための要素還元論的研究はもう十分やったので、もっとスケールの大きな事をやってみたいと思う ようになっていたんですね。あわせて学会という狭い世界の発展を自己目的化している面のある学会や論 文のあり方に疑問も感じ、もっと別のことをやりたいとも思っていました。そんな自分自身の思いとSD Mの設立のタイミングが合ったわけです。

元の職場に不満があったわけではありませんが、環境を変えてみたいという欲求はありました。だから 、ちょうどよいタイミングでこうしたエキサイティングな場面に出会えたことに本当に感謝しています。

キャリアをデザインするということ

実際移ってみて如何ですか?

狙い通り(?)、新しいものを作るのだという活気に満ち、様々な分野から同じ志を持つ一流の人材が 集まったとても楽しい場所になっています。学生も、教員も、メーカー、サービス、シンクタンク、金融 、建築、アート、マスコミ、コンサルタント、法曹、省庁、教育、経営者まで、あらゆる分野、あらゆる 年齢層、様々な国籍の者が集まり、皆が『木を見て森も見る』ことを目指す雰囲気があります。

入学者の満足度はきわめて高くて、国内にも国外にもこれまでになかった大学院になってきたのではな いかと思いますね。ただ一方でまだできたばかりで、知名度が高いとは言えません。21世紀の人材育成を 世界的にリードする大学院として、不動の地位を確立させることが、私のこれからの大きな使命だと思っ ています。そのためはまず、すばらしい人材を輩出していくことと、すばらしい研究成果をあげていくこ とに尽きるのだと思っています。是非多くの志の高い人たちに参加してほしいですね。

前野さんのお話を伺っていると、研究者の側面だけでなく、実践家としての側面を強く感じるのです が、それは、ご自身のこれまでのキャリアに大きく影響されているのでしょうか?もともとは大企業で働 く企業人・サラリーマンだったわけですね?

そうです。大学を卒業してキヤノンに入社しました。民間企業に就職したのは、その当時の大学に私自 身それほど魅力を感じなかったからです。企業よりももっと狭い世界で自由度がないように思えたので企 業に就職しました。大学の魅力を認識するようになったのは、米国への留学が大きなきっかけです。米国 の開かれた大学のあり方に感動しましたし、こんな大学だったら働いてみたいと思えたんですね。振り返 ってみるとSDMで私がやりたいと考えている自分なりの原点がここにあるといえます。

米国留学から帰ってきて、タイミングよく大学で働く機会を得ることが出来ました。当時は文部科学省 の方針もあってか企業経験者の採用が増え始めた時だったので、企業から大学へ移るチャンスが今よりあ ったといえるかも知れません。その意味でとても運がよいといえます(笑)

先ほどのお話もありましたが、理工学での専門を追求されている立場から、一転して全く異分野の領 域へキャリアチェンジされているようにみえます。一旦築き上げたものを手放すことに関して不安などは なかったのですか?

こうしたチャレンジができたのも、「心」に関する本を書いたことが大きな転機になったと思っていま す。(『脳はなぜ「心」を作ったのか』)工学領域での研究者だった私が専門でない「心」という人文領 域の本を書いたわけですが、これで随分自信がつきました。そもそも本質的な”ものの見方・考え方”は同 じなんですね。こうした経験を通じて、いろんな批判をうけることがあったとしても、一つの領域に閉じ こもっているより、本質的にやりたいこと、やるべきことに関わっていきたいという気持ちになってきた んです。

それにもともと私自身、関心が広がっていくタイプなので、それまでも理工学から心理学、哲学、倫理 学、科学技術論まで、幅広い分野に興味を持ち、多くの分野の人と議論を重ねてきていました。こうした 経験を活かしたいという気持ちもありましたし、自分しかやれないのではないかという、漠然とした自信 もありましたね。

研究者として「深く狭く掘り下げること」も好きなのですが、一方で「広く拡げる」ことも好きなんで す。振り返ってみると、小さい頃から世の中を”俯瞰して見る”子供でしたね。そのせいか、会社員時代は” 学者っぽい会社員”だといわれ、大学にきてからは、”会社員っぽい学者”だと言われてきたんですよね(笑 )

そうしたバランス感覚が前野さんの大きな強みの一つなんでしょうね。

あと、自分が直感的に面白いと思うものが時代と合っている気はしていますね。ロボットをやっていて ロボットブーム、脳に取組み始めると”脳”ブームが起きたりしましたので、時代の変化みたいなものに嗅 覚が働いているのかも知れません。

3.新しい時代のアーキテクティングとデザイン

これからの前野さんが着目しているテーマ何ですか?

社会システム、特にNPOなどを含めたサステナブルコミュニティに関心を持っています。このSDM が入っている建物は「協生館」というのですが、この”協生”というのがこれからの大きなキーワードにな っていくのだと考えています。社会が協生していく新しいシステムのデザインやアーキテクトが出来れば と考えているところです。

また「グループの創造性」というのにも関心を持っています。先ほどの”協生”から生み出されるクリエ イティビティをどう発揮させるのか?どうやって生み出していくのか?その重要性を痛感しながら、日々 SDMの授業の中で試行錯誤しながら研究しているところです。”協生”というキーワードを軸に「社会」 「技術」「人」のあり方や仕組みをどうアーキテクテトしていけるか考えていくこと、それがこれからの 私自身の課題ですし、またSDMとしてのこれからの大きなチャレンジになるのではないかと考えていま す。

SDMには研究科委員長の狼先生をはじめ優れた教員がたくさんいます。その教員陣と協力しながら、 一人一人の可能性を最大限に発揮できるような状況を創るためにも、私自身の役割は、それに向けたSD M全体のフィールドを”拡げていくこと”なのだと思っているんです。

大きな世の中の流れを体系化しながら、その中からきちんと普遍化できる要素、それもできるだけ新し い価値創出に寄与できるもの、オリジナル性の高いものを導き出していくこと。またそうした成果を世の 中のためにフィードバックしていくこと。そういう社会的な機能をSDMが果たせればいいですね。まさ にこれからの社会や未来を動かしていく “モーター”のような役割を担っていきたいと思っています。

インタビュー後記

インタビューの中でも触れたが、科学者でありながら哲学や宗教への関心も高い前野さ んの魅力は、何と言ってもそのバランス感覚だと思う。「嫌いな人がいない」との前野さんの言葉通り、 誰の話を聞いていても面白がることのできる稀有な人だと思う。そしてそんな前野さんは僕の学問上の指 導教員でもある。いろんな領域をクロスオーバーしていける企画をご一緒していきましょうね!これから も宜しく御願いします。(早田)

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SDM研究科
前野研究室(ヒューマンシステムデザイン研究室)
個人ホームページ

#016 企業とNPO連携から見えてくる”社会起業家”の可能性!

CSR活動に熱心な企業として知られているNEC。そんなNECの中で一際注目されているのが、「NEC社会起業塾」だ。NPO法人ETIC.と連携したこのプログラムは2002年にスタートし、これまで数々の社会起業家をサポートしてきた。今では日本屈指の社会起業家の登竜門となっている。第8期となる2009年は、横浜市と連携した取り組みを開始するなど更なる展開が図られそうだ。こうした社会起業への取り組みを軸に、企業の社会貢献の在り方、さらに企業とNPOのパートナーシップデザインについて、NEC社会貢献室長東富彦氏にきいてみた。

PROFILE

木村俊
日本電気株式会社(NEC)CSR推進本部社会貢献室長
1961年東京生まれ。電気通信大学卒業後、NEC入社。企業向けソフトウェアの研究開発に従事。2001年青山学院大学大学院にて国際経営学修士取得。06年社会貢献室へ社内人材公募により異動、08年4月より現職。NEC社会貢献活動の戦略立案などに従事。07年7月よりビックイシュー販売者のデジタルデバイド解消支援プログラム『NEC IT CONNECTION』を開始。2009年からは『NEC次世代社会イノベーター・プログラム』により社会起業家支援を強化。

1.企業におけるCSR/社会貢献の現在

NECにおける社会貢献のあり方、考え方について教えてください。

最近ではCSRという言葉が当たり前のように使われるようになってきましたが、このCSR というのは、コーポレート・ソーシャル・リスポンシビリティの略で企業の社会的責任ということですね。そして社会貢献とはこのCSR活動の一つの要素になります。こうしたことの重要性が言われるようになったのはこの10 年くらいでしょうか。企業はコンプライアンス責任と経済責任さえ果たせばよいという時代から大きく変わってきたように思います。

私たちNECではNEC グループの「企業行動憲章」と「行動規範」というものがあり、企業理念を表しているのですが、2004年にこの「企業行動憲章」の中に”地球環境保全への貢献”と”地域社会への調和”、”社会貢献活動”が追加されたんですね。利益があまっているから社会貢献活動をしているのではなくて、企業の憲法としてそれを行うことを義務付けたわけです。

ただ社会にはたくさんの課題があり、ひとつの企業が取り組むには限界がありますから全ての課題を解決することはできないですよね。そこでステークホルダーにとっての重要な社会課題と NEC にとっての関心事の交わるところが一番取り組むべきところであるとして、そこに資源を集中させるようにしています。つまり大切なのは「本業」を中心に社会課題の解決に取組むことだということです。

優先すべき課題に対処することをマテリアリティ、マテリアライズと呼びますが、あらゆるステークホルダーとパートナーシップを築きながら説明責任を果たすために、いかに企業が関わる課題テーマの選択していくのかというこの考え方が非常に重要なのですね。

NECではこうしたテーマを、①情報格差の解消(NEC IT CONNECTION)、②起業家による社会変革(NEC SOCIAL INNOVATION)、③創造力を育む青少年教育(NEC CREATIVE EDUCATION)、④地球環境の保全(NEC EARTH PROTECTION)、⑤多様性豊かな社会の実現(NEC DIVERSITY & INCLUSION)という5つに決めています。この5つのテーマをベースに複数のプロジェクトを推進しています。

2.NPOパートナシップと社会起業塾の意義

そのようなテーマに取組むにあたって大切なことは何でしょうか?

いくつかありますが、その中で重要な要素の一つがNPO/NGOさんとのパートナーシップですね。ただ私たちはこうしたパートナーシップを築く際に、法人格にはこだわっていないので、あくまでそうした社会課題を解決していくためのパートナーとなりえる団体であれば株式会社でも任意団体でも構いません。

大切なのはきちんとした活動をしていること。活動がユニークで先進的であり、リーダーの方が情熱があること、それに財政基盤などがしっかりしていることが重要だと考えています。財政基盤に関しては、財務上のバランスを重視しています。例えばですが、「委託が三分の一、自主的な事業が三分の一、残りが会費」というのが理想ではないでしょうか。あと専門のスタッフがいるということも重要ですね。昼間に動ける人がいないと私たちのような企業は連携した活動ができなくなってしまいますから。

具体的にパートナーシップとはどのようなことでしょうか?

最初の段階では社会貢献活動のパートナーとして、私たち企業側から資金面で支援をするという関係性ですね。しかし関係性を深めることで、次の段階ではお互いの資源、専門的なノウハウや地域のネットワークなどを活用しながら、私たちが持っている経営資源をそこに加えて事業を展開していていきます。そして最終的にはお互いに資源を出しあって新しいビジネス、特にソーシャルビジネスとかコミュニティビジネスを作り上げていければと考えています。

またNPOには”社会のアンテナ”という役割を担ってもらっていると考えています。私が年間お会いするNPO関係の方々は1000人を越えるのですが、私はよほどの事情がない限り時間をつくってお会いするようにしています。そして私たちの基本的な社会貢献活動の指針をお話して、ご一緒できるものがあれば、可能な限りご提案をして頂くようにしています。NPO的な活動をしている方々は社会の現場の最前線にいてその変化・課題を常につかんでいる人たちなんですね。もちろんいきなり新しいことはできないし、やってみないとわからないこともたくさんあります。そのため年に2~3の事業はトライアルで新しい事業を試しているんですよ。

そうした試みの一つの成功例が「NEC社会起業塾」なんですね?

そうとも言えるかもしれません。この事業に関しては、ETIC.と共同で取組んでいます。社会的な課題を解決しながら収益をあげ、持続的にその活動が続けられる事業型のNPO、ソーシャルベンチャーを育成することを目的に立ち上げたものですね。そうした事業型NPO を担う人ひと作りやネットワーク作りを行っています。この塾の対象は学生だけではなく、一般も含めた若手の起業家で、年間3 グループから 6 グループぐらいに参加していただいています。

よくあるビジネスプランコンテストみたいなものではなく、実際に理事会を開いて専門家に意見を戴いたりといった細かなところまでつっこんだ実践的な内容になっているというのが特徴です。そのためかなり激しいやりとりがある真剣勝負の場になっています。若手の起業家の方々にとっては、そういう場を経験して頂くことで、その後大きく伸びて頂ける一つのきっかけになると考えています。おかげさまでこのプログラムから世の中で注目されている社会起業家の方たちが巣立って頂けましたし、最近ではお問合せもたくさん頂くようになってきました。

今年からは横浜市と連携して更に加速させていく予定です。このプログラムは社内の「起業家マインドの育成」にも有効なんですね。近年イノベーション経営などの重要性が言われていますが、こうした若い起業家と触れ合うことで社内に徐々に活気が出てきていると近年強く実感しているところです。

またこうした若い起業家の育成だけでなく、シニア世代の社会参加についても支援を実施する「ホコレビト」というプロジェクトを始めました。これはイノベーション・シーというNPOと共同で実施しているプログラムで、シニアによる社会変革を目標にしているものです。「社会起業塾」をやりながら感じたことなのですが、若い方というのは思いが強くて熱意もあってすばらしいのですが、残念ながら社会の経験が足りなかったりネットワーク力が弱かったりする。そうした領域をこのプログラムでカバーしていけるといいですね。

3.これから企業人のの働き方/社会貢献の未来

これまで様々な社会起業家やソーシャルデザイナーの方々とお付き合いされてきたと思いますが、彼らの優れている点や共通の資質などがあれば教えてもらえますか?

まずは当たり前ですが”志”です。多くの場合それは自身の「体験」をベースとしたものなのですが、これがないと説得力がないですね。次に優れた”コミュニケーション能力”があることです。彼らは人を引き込むのがうまいですね。人柄なのかもしれませんが、彼らと接していると「周囲が手助けしてあげたくなる」状況になってしまう(笑)。こうした資質はおそらく現在、活躍している社会起業家の皆さんに共通して言えることではないでしょうか。

もともと東さんはどういったビジネスキャリアを歩んで来られたのですか?またそこから今の社会貢献活動をどのように捉えられているのでしょうか?

私は NEC に入社してからずっとソフトウェア開発のエンジニアリングをやっていたのですが、約3年ほど前に、自分自身の判断で大きくキャリアチェンジをしました。その背景には私自身のビジネス現場でのたくさん挫折経験があります。実はいまの仕事をするにあたって、そうした経験がとても役にたっているように思いますね。また自分の世界が広がったという意味で現在の仕事にはとても感謝していますし、また楽しんでいます。

このキャリアチェンジにあたっては私の海外での経験が大きく影響しているかもしれません。今から十数年前に IT ベンチャーが流行った頃、ボストンを修行で訪れたことがあります。その当時の IT ベンチャーの熱気というのはすごくて、ひとつの部屋にベッドマットだけ3つ並べて、そこで若者が寝起きをして仕事もしていました。彼らはよく、自分で起業し、一生懸命働いてお金持ちになったらマンション買おう、といったお金ベースの夢を熱く語っていました。それがとても刺激的で、私もベンチャーを起したいなあ、と思いながら帰国したのです。

結局は起業に至りませんでしたが、社内で新しい製品やサービスをつくりあげるプロジェクトにずっと携わってきました。そして事業を起こすことの厳しさを常に痛感してきたわけです。新しいプロジェクトの資金を得るには企画を通さなければいけない。100 枚くらいの企画書を作って、それが通ればやっと投資をしてもらえる、という具合ですね。投資をすると回収するのにだいたい一年くらい掛かります。そうするとお金を出すほうも厳しく見ますから、生半可な計画ではぜんぜんダメで、何回企画書を出しても通らないということもざらにありました。もちろん通ったとしてもうまくいかないことがほとんどです。私自身実際に2 億円くらいの事業を採算がとれずにつぶしたこともありましたね。

いま多くの社会起業家の方々と接する時に、こうした経験がとても活きているように思います。ビジネスの現場と社会貢献の現場と両方を知っているからこそできる活動をこれからもやっていきたいですね。

インタビュー後記

企業人としてのビジネスマインドとボランティア精神のバランスの取れた東さんのスタンスに学ぶところは大きい。企業が社会とどのように関わっていくべきか、東さんのこれからの活動にますます注目が集まりそうだ。是非ベンチャースピリッツあふれる面白い企画をご一緒できればと思っています。これからもよろしくお願いします!(早田)

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NEC社会貢献
NEC社会起業塾

#015 公務員だからこそできること!地域現場から描くソーシャルデザイン

地域再生の知恵袋として、全国を飛び回り、街おこしの相談に乗っている木村さん。時にスーパー公務員と評される木村さんの行動は、多くの人が想像している公務員像と大きくかけ離れている。それが時に「ばか者」と評されることもあるが、木村さんは動き続け、地域の人を巻き込み、地域の魅力に気付かせ、そして「その気」にさせていく情熱家だ。小樽時代は「ばか者」として、そして現在は「よそ者」として走り続ける原点は常に現場の視点と徹底した行動主義。年間4000人以上の人と会い、名刺交換し、地域再生の種をまき続ける。そんな木村さんの活動の様子はNHKのドキュメンタリー番組『プロフェッショナル仕事の流儀』(2009年5月19日放送)でも紹介されている。地域レベルそして国家レベルで活動している木村さんに公務員として考えられるソーシャルデザインの可能性について聞いてみた。

PROFILE

木村俊昭
農林水産省大臣官房企画官/地域活性学会理事
1960年北海道生まれ。1984年小樽市入庁し、議会事務局、経済部商工課・産業振興課、企画政策室などを歴任。歴史的建造物を活用した全国初のライトアップ、東京から老舗(しにせ)ガラス工房を誘致して「ガラスの街・小樽」としてのブランド化などに成功。こうした街おこしの手腕を買われ、2006年より内閣官房地域活性化統合事務局(2007年10月9日に統合)の企画官として出向。地域活性化に関する政策、地域再生制度事前・事後評価、地域と大学との連携講座「地域活性化システム論」の開講、地域活性化に関する調査・研究などを担当。2009年4月より農林水産省大臣官房政策課企画官。主に土・日は全国各地で講演等を展開中。地域活性化伝道師。北陸先端科学技術大学院大学非常勤講師。地域活性学会理事。

1. まちのことを考える人、それが公務員

先日番組の中では、木村さんの”走り続けている”状況がとてもよく伝わっていましたね。ところでそもそもなぜ木村さんは公務員になったのですか?

大学の時の恩師の影響が大きいですね。恩師から都市政策(まちづくり)を学び、自治体政策にたずさわりたくて小樽市に入庁しました。入庁時からの目標は、産業文化を世界に発信すること、未来を担う子供たちを地域で育成することです。

ただいきなりそうした担当セクションで仕事はできませんでした。でも入庁当初からまちづくりの提案は続けてきました。きっと変なやつだと思われていたと思います(笑)。そうしたことが徐々に評価されて、小樽市提案表彰で第一号の表彰も受けました。

25才から議会事務局で議長随行、32才から市長随行していたことも振り返ってみると大きかったですね。人脈形成に役立ちました。こうした経験をつんだ上で、現場の担当責任者になったことでまちづくりを広い視野で取り組めるようになったと思います。

2.”地域経営”の視点が大切なんです。

木村さんが現在、全国を飛び回られていて感じられることや問題意識について教えてください。

行政職員に限らないと思いますが、何かやろうとした時、できない理由を考えてしまう癖がある方がいます。もちろんこれは誰にでもあることなのですが、できない理由を言う前に、できることを探す工夫が必要ですね。小さなことでもいいので、できることを積み上げていくことが必要だと常々痛感しています。いきなり大きなことはできないですから。もちろん大きなことを考えることは必要ですけどね(笑)。公務員でよくやってしまうのが「予算」の壁をつくってしまうこと。「予算がないからできない」とついなりがちです。でも予算なしでもできることはいくらでもある。大切なのは何が求められていて、いまの状況の中で何ができるのか?プラス思考で考える癖をつけることですね。

また一方で地域全体を見渡すことも必要です。地域に経営戦略がなく事業毎にバラバラで動いてしまうということは大きな問題。地域を回っていて、いろんな政策を場当たり的にやってしまっているケースも多々あるように感じています。大切なのはこのまちを全体でどうしていくか?そのグランドデザイン、全体戦略が必要です。まちの中にはいろいろな利害関係者がいるので、どうしても総花的な政策になってしまいがちです。例えば観光で所得を得ている人がほとんどいないにも関わらず、観光支援のために割りに合わない予算を使ってしまうようなことも見受けられます。戦略なき企業誘致や団塊世代の移住をやっている自治体も多いようです。

重要なのはそのまちで暮らしている一人ひとりが所得を得て楽しく生活できること。そのため、このまちでみんなが生活できるには何が必要か?そういう地域の経営的視点が必要です。そのためには地域の産業・雇用の戦略は重要だと思います。また教育も大事ですね。大きな企業がないまちでサラリーマンになるためだけの教育をしても不十分です。子供のころから地域に触れ、将来は自ら”業”を起こす教育なども大切なのではないでしょうか。

更にまちの中だけでものを考えない視点も大切です。ネットワークしていくこと、足りないものはお互いおぎなっていくことも大切です。私が小樽でお手伝いしたことに職人連携による全国職人学会や、薩摩切子、江戸切子、そして小樽切子の3大切子として小樽ガラスのブランド化を仕掛けたことがあります。これは小樽だけでやろうとするのではなく、他の地域とどう連携してお互い高めあえるか、そういう発想で取組んだものです。今では”ガラスのまち”、”職人のまち”が定着しています。自分たちに「あるもの」と「足りないもの」が分かれば、”どこ”と”どう”組めばいいか分かってきますね。そうした俯瞰した視点も必要なんです。

3.”人財”こそが地域の資源

今後力を入れて取組まれていかれることは何ですか?

先ほど、教育について触れましたが、地域にとって大切なのは人財なんですね。だから地域の人財を育てていくことに注力していきたいと思っています。目下取組んでいることは地域と大学との連携です。大学、特に地域の大学というのはもっと地域に開かれてまちづくりの”場”になれると思っているんですね。

こうした問題意識から平成18年度から、地域の大学と内閣官房・内閣府とが連携し「地域再生システム論」というたいへんユニークな授業科目を開講することになりました。初年度は北陸先端科学技術大学院大学1校からスタートしたこの事業は、徐々にその輪を広げて、現在は35校程の大学・大学院が参加して頂いています。現在「地域活性化システム論」の実施大学が中心となり、昨年12月に「地域活性学会」が誕生しました。私は理事を務めています。

今後は更にこれを加速させながら発展させていければと思っています。例えば既に取組み始めている海外大学との連携です。各大使館と連携しながら地域と各国をつなぐ動きが生まれ始めています。また学会の機能を更に実際の「事業」につなげていく機能も必要だと感じています。「地域活性学会」が政策提言機関とすれば、地域の求めに応じて実機関「地域活性機構」の立ち上げを目指しています。7月には地域活性化応援ブログも立ち上げたいと思っています。この辺りの仕組みづくりがこの1年でやりたいことですね。

最後に木村さんのこれからのビジョンや夢について教えてください。

これからも行政職員としてまちづくりに関わっていきたいですね。毎週土曜日は大学院に通い、システムデザイン・マネジメント(SDM)研究科・委員長の狼嘉彰教授にご指導いただいてますが、今後も地域活性化の研究を続けたいと思ってます。 特に地域と大学との連携をさらに進めて、地域格差を地域と大学との連携により学生・院生、地域の皆さん、行政職員などが集まり、課題を整理し政策(案)を策定、実践することに協力していきたいですね。またこの4月から農林水産省の職員になりましたので、農林水産関連のビジネスの創出などを手がけてみたいです。将来も行政職員としてまちづくりに関わっていきたいと考えています。

インタビュー後記

木村さんと出会ったのはもう3年以上前。地域活性化に取り組む先輩であり、同志のような存在。出会った頃から常に新しいことにチャレンジし続けるイノベーターであり、自分の思いを独自の言葉で語れる情熱家。特に新しいことを”面白がれる”能力の高さと人を”巻き込む”能力は天賦の才能。そんな木村さんから学ぶことはとても多い。これからもご指導下さいね。そしてこれからも面白いことを仕掛けて行きましょう!(早田)

LINK

内閣官房地域活性化統合事務局
内閣府経済社会総合研究所
農林水産省
地域活性学会
慶應義塾大学大学院SDM研究科

#014 現代版『家守』の挑戦!~地域デザインの可能性

アフタヌーンソサエティは、都市生活者の潜在意識の変化を掴み、新しい仕組みを創造し、それを実践するクリエイティブなシンクタンク。その代表であり都市・地域再生プロデューサーである清水さんはビジネスコンサルティング、建築のプロデュース・プロジェクトマネジメントのプロフェッショナル。そうした清水さんのベースにあるのは常に現場からの発想。本業の傍ら、ワインレストランの経営や海外子供服ブランドの日本法人設立・経営を手がけ、これらの実業における経験とノウハウがその現在のベースになっているようだ。近年では神田、新宿歌舞伎町や盛岡市の中心市街地などで現代版家守業の実践と啓蒙に注力し、そのビジネスモデル構築に挑んでいる。そんな地域のデザイナー&プロデューサーである清水さんにソーシャルデザインの本質についてきいてみた。

PROFILE

清水義次
株式会社アフタヌーンソサエティ代表取締役
1949年山梨県生まれ。東京大学工学部都市工学科卒業後、コンサルタント会社を経て1992年(株)アフタヌーンソサエティ設立。都市生活者の潜在意識の変化に根ざした建築のプロデュース、プロジェクトマネジメント、都市・地域再生プロデュース、家守(やもり)事業プロデュースを行っている。最近は現代版家守業の実践と啓蒙に注力し、千代田区神田地区及び新宿歌舞伎町における現代版家守業の実践に挑んでいる。主な建築プロジェクトは青山パラシオ(表参道)、ホテルソフィテル東京(池之端)、メルキュールホテル銀座、FXビル (名古屋市大津通り)など。地域再生プロジェクトは、熊本県旧泉村、福島県三島町、兵庫県洲本市など。CET顧問。東洋大学大学院公民連携専攻客員教授。

1.ひとつの拠点がまちを変える契機になるんです。

神田で取組まれている『家守』の取り組みについて教えてください。

『家守』というのは一言でいうと街のエリアマネージャーです。江戸時代に土地と家屋を持っている不在地主に代わって、その管理人をしていたのが大家さん=家守です。大家さん=家守は、長屋の管理だけではなくて、町内の半分位を差配する役割も兼ね、小規模のタウンマネージャーの役割も兼ねていました。私たちは神田辺りの老朽化したペンシルビルが立ち並ぶ一帯(競争力がなくなって、たくさん空いているのですが)をエリア全体として価値を向上させようと江戸時代の家守を現代バージョンで復活させた”現代版家守”によるまちの再生を行なっています。建築のリノベーションなどを通じて、全体としてエリア価値が高まるようにそれらをマネージメントしているのです。

神田というところは面白いまちで、東京の中で建物の不燃化が最も早く進んだ地域であり、過剰なほどの交通インフラがあるエリアなんですね。また楽器店街や古本屋街、スポーツ用品店街、電気屋街があり、大学がある。東の隅田川寄りには馬喰横山の問屋街、隣接した丸の内・大手町には日本一のビジネス街など、産業の集積がある。ところがこの問屋街エリアがオイルショック以降、下降線をたどるわけですが、私たちはこうしたまちを個々の産業活性化ということではなく、エリア全体で活性化させていきたいと考えています。歴史的なものがまだ至る所に残っているこの神田・裏日本橋エリアが持っているDNAを現代に蘇生しながら、経済産業振興とまちづくりの接点領域でイノベーティブなものをクリエイトしていきたいと考えています。

こうした取り組みをするなかで特に立ち上げ期に重要なのが拠点づくりです。そこで私たちは内神田地区に築48年のビルを借りまして、形の変わった寄り合い所兼シェアード・オフィスREN-BASEを創りました。2003年10月にオープンしたこのスペースは105坪ほどあるのですが、右側のスペースはブースに割り、自由でクリエイティヴな人、あるいはイノベイティヴな人たちがシェアしています。中心となる空間のイス、テーブルは全部可動式で、多い時には100人くらいが集まって寄り合い所となります。こうした人が集まる空間をつくることで人の動きが始まります。またこのような拠点を中心にスタディグループをつくって大学、民間企業、官公庁の人たちがラウンドテーブルで議論しながらまちづくりを複線型で考えていくことが重要だと考えています。まち全体の大きな流れやプロジェクト全体をデザインしていくことが家守の大事なミッションなんですね。

2.まちを変えるコンテンツを見つける。そして育てる。

これまで数々のまちづくりに関われてこられて、また各地方を回っている清水さんからみてまちづくりで最も重要な要素は何になるんでしょうか?

一つというと難しいですが、やはり “そのまちのコンテンツとは何か?”ということが大切になると思います。それぞれのまちには、まちの魅力を醸し出す力のある多種多様なコンテンツがあります。その中で今後まちを変える力となりうるものは何かということを見つけ出す必要があります。

これまで私が家守として実践的なまちづくりを行なっている中で実効力があって、重要だと実感したものを挙げてみると本当に様々です。例をあげてみると、それは動物磁気を持ち人を動かせる人、近未来のまちのアンカーテナント、新しい移動交通手段とそのデザイン、起業支援施設と育成サポート、アート・デザインイベント、地域メディア、時代を先取りするまちのコンセプト、図書館・美術館などの文化施設の業態改革・・・と本当に多種多様なものがありました。重要なのは、まずその土地にしかないもので、規模の大小にはまったく関係なく、理屈、理論でなく多くの人々のこころの奥底に到達するものなのかどうかということです。

まちでは、影響力の強いコンテンツが日々自然発生し、住人、商売人、学生、来街者それぞれの潜在意識に少しずつ影響を与えています。しかし、多くの場合それらは野に咲く雑草のように見過ごされているんですね。まちを変える力のあるコンテンツが中心市街地の中やエッジにできている家賃断層地帯(まちなかの低家賃エリア)で上手く編成されると、途端に衰退していたエリアが活性化し始めます。また、群れを成して集積し始めるとまちを動かす力となるわけです。更に異質なコンテンツ同士を結合させることで面白いコンテンツに育つこともあります。

新しく生まれたコンテンツが、まちという生き馬の目を抜く過酷な生態系の中で生き続けていくためには、これを植物と同様に種を形成する群れにまで手塩にかけて育て上げる必要があるんです。そのため今後のまちづくり活動において大切なのは、それぞれのまちのコンテンツを見つけ、育て、集積させ、活かす仕組みづくり即ち”まちのコンテンツづくり”活動だと考えています。それは地域の「再編集」であるし、まさにソーシャルデザインといえるのではないでしょうか。

私たちはまちの価値そのものを高めるという目的で不動産ビジネスや都市計画に関わることが多いのですが、多くのまちづくりと個別の不動産プロジェクトは、現在の社会通念によってつくられています。しかしまちは移ろいやすく絶えず変化し、常に新しくなっているのですから、現在の社会通念に沿って考えた計画が予想通りになることはめったにありません。これからのまちづくりのデザイナー・プロデューサーに求められるのは、エリアに住む人たちの潜在意識の変化を掴み、地域コンテンツを発見し、コンテンツからまちを変えることだと確信しています。家守とはまさにそうした存在なのです。

3.まちを歩くこと、そこから未来が見えてきます。

清水さんのそうした考え方はどこからきているのですか?

もともと大学を卒業して入ったコンサルティング会社での経験が今の仕事の基盤ですね。この会社では社会風俗観察をベースとしたコンサルティングを多種多様な大手企業に対して実施していたんです。社会現象からちょっと先の未来を予測して企業のビジネスにつなげていくことを提案していたんですね。この風俗観察というのは早稲田大学の先生だった今和次郎さんが創られた「考現学」という学問を基礎としています。

この異色・異能の建築学者にして風俗研究家であった今和次郎という人はとても面白い人なんですね。東京美術学校図案科を卒業した後、柳田国男らとともに農村・民家の調査を行ったり、関東大震災後は「バラック装飾社」の活動をやっていた人なんです。とにかく人々の活動のさまざまな側面をただひたすら観察し、数量化し、記録していくのですが、その研究領域は服飾・風俗・生活・家政ととにかく広範囲。でもそれがとても生き生きとしていて魅力的なんですね。いま早稲田にはこの学問の継承者がいなくなっているとのことで、先般早稲田のある先生に「継承者は清水さんだけになったね」と冗談で言われてしまいました。(笑)嬉しいですがとても残念なことです。

世の中の変化って、食べ物や風俗などの”軟文化”の方から変わっていくんですね。政治や法律などの”硬文化”が変化するのはその後です。だから”軟文化”の変化をつかむと社会の変化が読める、未来が読めるということになる。大学を卒業して右も左も分からなかった私は、カメラ1台もたされて街の中へ放り出された。そしてひたすら歩いて写真を撮りながら、写真の中から漂ってくる「何か変だな」というものを捉えて中長期トレンドの中に価値付けしていくこと、これを本当に徹底的にやらされた。この経験が今でも活きているんですね。

こうした活動の中で、そのときまだマーケットになっていないものが、ある時いきなりマーケットになっていく。そんな場面を自ら見つけ出すという経験をしてきました。メディアの人たちが言っていることではなく、まちの中からまだ言葉になっていないことを見つけ出していく。その大切さと面白さを実感してきました。何より大切なこと”まちを歩く”ことです。まちをあるくことで未来が見えてくる。そのことはソーシャルデザインをやっていく上で大切にしてほしいですね。

インタビュー後記

清水さんのお話には一つ一つ説得力がある。それは現場から得た知恵から清水さんがビジョンを描いているからだ。そして実践の中でそれを実証してきているからなのだろう。未来のタネはまさに「今ここ」にあるのだ。理念と実践、事業性と公益性という、相反するものに対するバランス感覚も抜群で、まさに「片手に算盤、片手に論語」を実践されている。また記事には書けなかったがアートやデザインの重要性を理解し、まちのコンテンツづくりに活かされているセンスにも共感させられる。是非これからいろんな地域のまちづくり、ソーシャルデザインについてご一緒できればと思っています。宜しく御願いします!(早田)

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株式会社アフタヌーンソサエティ
REN-BASE
CET
東洋大学経済学部大学院 公民連携専攻

#013 今こそ、フューチャーソーシャルデザイン(future social design)の時代!

地域通貨「r」、アースデーマネー、打ち水大作戦など様々なムーブメントを起こしてきたソーシャルデザイナー池田正昭さん。最近では港区エコプラザを拠点にmore tree 東京チェンジメーカーズなど更に活動のフィールドは広がっている。こうした池田さんの原点にある志向、それは「デザイン」。博報堂時代に自ら提言されてきた時代を先取りしてきた「フューチャーソーシャルデザイン」の志向をいま再び、世の中に提言しようとする池田さんに、ソーシャルデザインの本質について聞いてみた。

PROFILE

池田正昭
毎日アースデイ株式会社代表取締役社長
1961年神戸市生まれ。小学生時代をブラジルで過ごす。1985年東京大学文学部卒業後、同年株式会社博報堂入社。コピーライターを経て、同社が発行する雑誌『広告』の編集者に。 2001年に「future social design」をテーマに同誌をリニューアル。雑誌から社会変革が立ち上がることを試み、地域通貨アースデイマネーなどを誕生させる。同誌編集長解任後、 2003年夏に環境ムーブメント「打ち水大作戦」を創始。2006年3月同社退社後、みなと環境にやさしい事業者会議(2006)、more trees(2007)、港区立エコプラザ(2008)、トーキョーチェンジメーカーズ(2008)などを立ち上げる。

1.地域通貨との出会がすべての始まり。

先日のソーシャルデザインフォーラムでもプレゼンされていましたが、「フューチャーソーシャルデザイン(future social design)」の志向がまさに池田さんの幅広い活動に共通するテーマのようですね。もともと広告代理店で活動されていた池田さんが、こうした活動に関わるようになったきっかけは何だったのですか?

博報堂に入社して10年程コピーライターをやった後に、雑誌『広告』の編集に移るのですが、その時に「地域通貨」と出会ったことが大きかったですね。1999年あたりです。『批評空間』という雑誌があるのですが、99年夏頃に掲載された北海道大学の西部忠さんの論文に衝撃を受けたのです。マイケル・リントンが作った地域通貨である「LETS」についても詳しく書かれていて、それを読んでわくわくしました。自分たちでお金が作れるということ、それにLETSという通過の前提となっている発想に刺激を受けました。早速、地域通貨について取材をして雑誌に記事を掲載しました。

『広告』で「地域通貨」ですか?

確かに広告代理店が「地域通貨」を扱うことについて不思議に思われるかもしれませんね。私たちは地域通貨を一つの根源的なメディアだと捉えていたのです。メディアとは「媒介」であり、それを通してヒトとヒトがつながるものですよね。そうだとすると一番ヒトに身近なメディアが地域通貨だといえると考えていたのです。

当時こうした地域通貨の動きにはいろんな人が影響を受けたと思います。なかでも一番影響を受けた一人が『批評空間』主催者の柄谷行人さん、それに坂本龍一さんです。柄谷さんのグループでは「Q」という地域通貨の立ち上げの動きが出てきた。坂本さんの方は、99年からしばらくはものすごく地域通貨にはまっていましたね。おそらくその頃日本中で地域通貨についてそこまで知っているのは坂本さんしかいないというくらい盛り上がっていました。

柄谷さんや坂本さんの動きと同期しながら、私の方は雑誌を通じて世の中に「地域通貨」をけしかけたわけです。”世の中を変えよう”と呼びかけをしたつもりです。たしかに手ごたえはありました。この号は完売しましたし、雑誌を作る側としては一応、成功したわけです。でも何か納得いかないところがあった。読者から、地域通貨をはじめましたというお便りがこないわけですよ。一年待っても、ソーシャルイノベーションにつながる活動が生まれてこない。

誰もやってくれないんだったら、自分が一番「地域通貨」にいれあげているわけだし、実現するためのノウハウもネットワークもあるわけなので、自分でやってみようとなったわけです。もちろん本業である雑誌から逃げられない。だったらその雑誌の中の取り組みとしてやればいいじゃん。そう思って雑誌をベースに取り組むことになったのです。

2.締め切りがあるからいい。

具体的にはどういう取り組みをされたのですか?

その頃から雑誌を単なるメディアとしてではなく、野心的にプロジェクトを生み出すプラットフォームにしようと取り組みはじめました。雑誌がプロジェクトをインキュベートしていくラボになる可能性があるのではないかと考えるようになったのです。単に出来事をフォローして記事にするのではなく、記事を作るためにイベントを仕込むという発想ですね。メディアと実際起こっていることを並行して走らせる。それを雑誌を通じてやってみたわけです。

またこうした取り組みは雑誌という媒体だったからよかったのだと思います。それは締め切りがあるからです。媒体は2ヶ月単位のものだったので、その間に何か進展させなければならないわけです。そうした状況に関係者を追い込んでいくことでプロジェクトは進展しました。やはり締め切りないと人は動かないですね。

そうしたプロジェクトがどこで”ソーシャルデザイン”の発想とつながるのですか?

先ほどの地域通貨LETSの開発者マイケル・リントンの言葉です。彼は地域通貨のことをこう言ったのです。「just a matter of design」これはデザインの問題なんだと。それまで私の中に”ソーシャルデザイン”という発想はなかったわけですが、お金がデザインだったらあらゆるものがデザイン。人を動かすものはすべてデザインだな、ということにはたと気づいたわけですね。デザインの概念が広がった。

そこで2001年から雑誌のコンセプトを”フューチャーソーシャルデザインfuture social design”として、「全ての記事=プロジェクト」というメディアにしたのです。その中で一番異端だったのがブラジルプロジェクトです。何でブラジルなのかというとうまく説明できません(笑)私がブラジル育ちだということもあるのですが、いまだにあの雑誌を価値あるものにしているとしたら、あのブラジルプロジェクトが効いているなと思っているんですけどね。

このブラジルプロジェクトは今福龍太さんを中心に動かしたプロジェクトなのですが、この中で今福さんが入れあげていたのでヴィレム フルッサーという哲学者なんです。このフルッサーがまさにデザイン論をやっているんですよね。都市・性・子ども…をデザインとして捉えている。デザインという概念の総合的な哲学的な解釈をやったのです。このフルッサーとの出会いがさらにデザインの概念を広げてくれましたね。しばらく遠ざかっていましたが、もう一度”フューチャーソーシャルデザインfuture social design”ということを、ここエコプラザでも取り上げていきたいと思っているんです。まずはフルッサーの読書会などをやってみたいですね。

今度企画されているfsd(future social design)seminar vol.01「生命とはなにか~ヒトの始まりについて」(講師:秋葉悦子氏(富山大学教授/バチカン生命アカデミー客員会員)を実施されるものそうした流れの一つなのですか?

そうですね。ヒトはいつデザインされるのかということを知りたくなったわけです。たまたま今回の秋葉さんに出会って、これを皮切りにFSDをはじめられるなと思ったんですね。前回までは「地域通貨」が一番バッターだとすると、これからは「ヒトの生命」を一番バッターにFSDをやれるのではないかと思っています。こうした生命の問題をきちんとパブリックコメントにしていきたいですね。「私たちの考える生命とはこれだ」と発言していきたい。その次は核の問題なんかも取り上げてみたいと思っています。

3.反応しているだけ。

最近ではトーキョーチェンジメーカーズなど、次々にプロジェクトを立ち上げられている池田さんですが、そうしたプロジェクトは戦略的もしくは計画的に取り組んでいらっしゃるのですか?

私は突発的に「訪れる」ものに突き動かされていくタイプの人間なので、計画的に動いてきたわけではありません(笑)ただ、それはやりたいことをやっているのかと言われればそうでもなくて、何か”流れ”でやっている感じなんですね。流れってあると思うんです。特に雑誌を始めてからはそれを強く感じるようになりました。

やっているうちにいくつかの”流れ”が見えてくる。そしてその”流れ”と”流れ”をあわせると大きな”流れ”ができるなということが、分かるようになってくる。そうしたムーブメント感のようなものを身体で感じている気がしますね。また自分がやりたいことをやっているわけじゃないから冷静に状況がみえてしまう側面もあるかもしれませんね。

自己のビジョンというより、フローを大事にされているのですね。あまりこだわりを持たれないようですが、どんな時に池田さんはわくわくするのですか?

「何かできるかも!」と思った時ですね。道が開けていくというか、何か抜けたみたい感じになった瞬間ですね。サッカーでいうと「いい感じでフリーになった」瞬間でしょうか。自らボールを奪ってドリブルするというより「いつの間にか与えられている」「気がついたら目の前にボールがあった」その繰り返しが人生の醍醐味なんだと思っています。考えてみると、いろんなパスが出されて、それに反応しているだけなんですね。走っていたらボールがきちゃったというのがいい。そうしたことの積み重ねがムーブメントになっていくなのかもしれません。

だから人との出会いが大切。どういう出会い方をするのか。そうしたタイミングを重視しますね。すべてはお膳立てされている、そう感じるんです。だから自分からあまりコミュニケーションはとっていないかもしれませんね。来たものに返すというという感覚です。こうした様々な出会いとつながった感を持っていられるのが幸せなことなんだと思っています。

もし自分に才能があるとしたら、肩の力が抜けて、ちゃんと来たボールに反応できているところなのかもしれませんね。

インタビュー後記

イノベーティブで情熱を持ちながら、でも肩の力の抜けた感じがとても魅力的な池田さん。世の中の流れを広く見極めながら、それでいて一つ一つの物事の本質をきちんと捉えられている姿勢には学ばされるところが多い。そうした池田さんのお話を聞いていると次々とインスピレーションが起こりワクワクしてくるから不思議だ。いつかご一緒に面白いムーブメントづくりができるといいですね。今後とも宜しく御願いします!(早田)

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港区エコプラザ
トーキョーチェンジメーカーズ

#012 「ビジネスの公益性」を問う!地域ビジネスのデザイン論

2004年3月に廃校となった世田谷区立池尻中学校の校舎を利用した、都内初の民間によるコンバージョン事業として誕生したIID。多数のクリエイターがオフィスを構え、「学び・雇用・産業」 の 3 要素が融和し、きちんと事業として成立していく仕組みを実現しようとするこの場所は「地域×クリエイティブ」の拠点となっている。このIIDの校長である松村さんはこうしたプロジェクトに関わることをきっかけに、新たな地域ビジネスのインキュベート活動へと挑戦している。そんな松村さんにこれからの「地域ビジネス」の在り方について聞いてみた。

PROFILE

松村拓也
IID校長/NPOカプラー理事長
1957年東京生まれ。1981年東京大学工学部建築学科卒、(株)現代計画研究所入所。1985年辰建設(株)入社。1996年同社代表取締役就任。1999年同社倒産、株式会社辰設立。2005年流石創造集団設立に参加、IID(世田谷ものづくり学校)校長就任。株式会社スクーリングパッド取締役就任。2006年(株)なのに設立。株式会社ものづくり学校取締役就任。地域創業プロジェクト【せたがやかやっく】プロジェクトリーダー就任。2007年クリエーションスクエアしぶや企画運営コーディネータ就任。NPOカプラーを創設し、理事長就任。内閣府地域活性化伝道師。

1.ビジネスは人を幸せにするためにある。

松村さんが近年、力を入れている”起業支援”について状況を聞かせて下さい。創設されたNPOカプラーもそのための組織なんですよね。

最近の私たちの問題意識は、「ビジネスの公益性」って何だ?ということです。これまでの多くの議論は「ビジネスや事業を成功させるにはどうすればよいか」ということでした。でもこうしたビジネスの成功がゆえに顧客や社会に迷惑や損害を与えて、その負担を負わせた挙句に消えていったりしたわけです。今回の経済危機もそうですよね。金融破綻をはじめとする多くの社会問題は、事業の成功がもたらした暴走の結果です。

この原因は、ビジネスの成功ばかりに目がいき、そもそも「ビジネスが成功したらどうなるか」を論じようとしてこなかったところにあると思うんですね。そこに大きな落とし穴があった。またこれは”社会的ジレンマ”ともいえますね。個々人の最適な選択がけっして社会全体としての最適な選択とはならない。ビジネスのことだけ考えれば、うまく行かなくなったら消えればいいわけです。でも地域はそういうわけには行きません。こうしたジレンマを解消するためにはビジネスの公益性についてちゃんと議論する必要があると思っています。

そこで最近私たちが取り組んでいるのは、世田谷をフィールドにビジネスが地域デビューすることを促進するための『ビジネスリーグ』という仕組みです。あらゆるビジネスの担い手たちが「成功のイメージ」を競い合います。ビジネスが成功する前に、そもそもそのビジネスが社会に役立つかどうか、ということを問うことを目的にしているわけです。多くの人は「やってもいないのに、成功したらどうなるかなんて考えられないと」というわけですが、そもそも最初に成功の姿をイメージできない事業が成功するわけがないんです。私たちは「支援」する前に「試練」の場として『ビジネスリーグ』を活用してもらいたいと思っています。

2.地域の自給自足が大きな課題です。

面白い取り組みですね。社会的ジレンマについてはご指摘の通りだと感じています。もう少し「地域」と「ビジネス」の関係について教えていただけますか?

「ビジネス」にしても「地域」にしても大切なことは帳尻が合っているかどうかだと思うのです。そこは共通ですね。ただ大きな違いもあります。それは「ビジネス」は「地域」を選べるけど、「地域」は「ビジネス」を選べないことです。帳尻を合わせるために「ビジネス」は地域内で必要なものが調達できなければ別の地域に求めることができます。しかし「地域」はそうは行きませんよね。

そう考えていくと大切なのは、「地域の自立性と自給率を高めること」だと思います。つまり「地域内ビジネス」を高めて、「地域外ビジネス」への依存度を低下させることです。そうやってできるだけ帳尻を地域の中で合わせられるように準備していくことが重要なのです。私たちがやろうとしていることはまさにこの点です。地域をどう自給自足していくか、また自給自足できない地域はどうやって終息させていくか、そういったところに問題意識をもっています。

地域自給率を高めることが『ビジネスリーグ』の目的というわけですね。

そうです。「誰もがビジネスで成功する」というと絵空事になってしまいますが、「誰もが得をするビジネスを考える」ことなら誰でもチャレンジすることができると思うのです。どんなビジネスであっても、みんなが寄ってたかって鍛えることで、より多くの人が得をするビジネスに育てることができます。

例えばITの町として有名なシリコンバレーは、そんなところなのではないでしょうか。ITをテーマにチャレンジする人たちが世界中から集まって、ランチやホームパーティで自由に交流しながら、企業秘密など気にせず情報交換することで新しいものを生み出している。

私たちがやりたいことはそうしたまちづくりです。地域には面白い人たちがすでにたくさんいますし、そんな町があったら、全国から起業者たちが集まってくると思うのです。”世田谷”は渋谷になる必要も港区になる必要もないわけで、世田谷らしい起業支援をやっていきたいと思っています。

最後に松村さんのこれからについて教えてもらえますか?

私は自分の会社を一度たたんで、これからは自分のやりたいことだけやっていこうと決めました。 いまは答えのない時代。これからどういう世の中がいいのかはやってみるしかないし、やってみないとわからないわけです。そうした新しいことを周囲の人々に投げ込んで、周囲の反応を試しながら、次々に先に進んでいきたいですね。

インタビュー後記

いつもながら松村さんの話にはパワーがある。そしてやりたいことが常に明確に一つの芯として存在している。そうした松村さんの話を聞きながら自分の内面に照らしてみると、自分の中にあったぼんやりとしていたものが少しクリアになっていくから不思議だ。まるでリトマス試験紙のようなもの(言葉は適切でないかもしれないけど)。松村さんのように常に走り続ける先達たちに学びながら、僕らも新しい社会を僕らなりの言葉で創っていかければと痛感させられる。松村さん、これからも走り続けて下さいね!(早田)

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なのに
NPOカプラー
世田谷ものづくり学校(IID)

#011 ソーシャルインパクトを与え続けるメディアの可能性

社会をより良くすることを目的に、政治問題から環境問題、アートとデザイン、持続可能なライフスタイル、社会起業家と多岐にわたるテーマを取り上げている隔月誌雑誌『GOOD』はまさにソーシャルとデザインをつなぐメディアだ。2006年9月に創刊され70,000人もの読者数をほこっている。そのデザインクオリティは高く、ビジュアルとメッセージを巧みに融合した紙面づくりを行ない、業界紙メディア、インダストリー・ニュースレターで同年に創刊された最も注目すべき雑誌の一つと評価されている。現在は、ウェブ、ビデオ、ライブのイベントを通じて、会社の事業と読者のコミュニティを拡大、様々な非営利団体との共催イベントにも取り組んでいる。こうした活動をクリエイティブの面から支えている中心人物が今回のケーシー・カプロウ氏。ソーシャルデザインフォーラムに参加するために来日したカプロウ氏にソーシャルデザイン、そしてメディアの可能性について聞いてみた。

PROFILE

Casey Caplowe(ケイシー・カプロウ)
GOODクリエイティブディレクター
1981年生まれ。ブラウン大学卒。2つのアパレル関連のベンチャー企業を立ち上げた後『GOOD』に参加。ビジョン確立に参与しクリエイティブの責任者として、編集方針と雑誌のデザイン、ブランディングを手がけている。カプロウの構想のもとで『GOOD』は、優れたデザインと個性的なビジュアルによって、創刊した年に早くも全米雑誌賞にノミネート。ビジュアル・コミュニケーションに重点を置き、斬新なグラフィックを駆使して、データや情報を表現。またウェブ上でもインターアクティブな要素を取り入れたプロジェクトや、オンライン・ビデオの独特の作風をデザイン。またウェブサイト「good.is」のデザインリニュアール全体を指揮するなど、メディアを使った様々なプロジェクトを展開中。

1.『GOOD』から起きるソーシャルムーブメント

『GOOD』を始めるに当たっての問題意識やきっかけについて教えてもらえますか?

まず『GOOD』の問題視ですが、先ほどCut‐jpの活動を聞かせて頂いて「社会の小さな活動をつなげていくことによって大きな力にしていく」という方向性は本当にGOODのコンセプトに近いと思っています。同じような問題意識からGOODを始めました。

私たちが『GOOD』を始めた時、社会に生きる一人一人が”向上”することをお互い共有できればと考えました。都会の中の農業とか、社会起業とかの小さな団体や会社があるのは知ってたのですがそれらは1つ1つ単独に存在している活動でした。私たちは、例えば「環境」や「政治」などのテーマと「アートプロジェクト」と結びつけたらどうなるかと考えたのです。実際そういうつながりはなかったので、それをつなげたら大きなムーブメントになるのかなと思いましたわけですね。GOODはそういう”つながり”、ネットワークを作るために、雑誌というメディアを創ったのです。そこで、さまざまなテーマを設定しながら、「これかっこいい(cool)」、「それかっこいい(cool)」、「あれかっこいい (cool)」っていうのを雑誌の中に取り入れていきました。地面に旗を立てるみたいに「見て、これが起きているんだよ!」っていうことを示そうと思ったわけですね。

と同時に、「こうした新しいことを一緒に創っていけるんだよ!」ということをメッセージとして伝えていった面もありますね。「みんな革新的でクリエイティブになるとこんなこと起こりますよ!」というメッセージです。こうしたことを、私たちは自分たちがここで言わなくちゃいけないと思いました。メディアっていうのはそういうメッセージを発信するという意味ではとてもいいと思ったんですね。

そうしたメディアは当時ほとんどありませんでした。私たちにとってはこうした新しい活動の”概念”自体を創出して、ブランディングしてきたと思っています。例えば環境のことをやっている団体があっても、自分たちはそれに乗りたいという気にならなかった。正直、その団体とかの一員にはなりたくないと思ったわけです。そういった団体が持っている雰囲気みたいなものが自分たちとはなんだか合わなくて、もっと楽しくって興味をそそるようなものがやりたいと思っていました。だから、自分たちに合っているものを作り上げたいなぁと思ったのです。私たちが動き始めてから(もちろん私たちの力だけではないと思うけど)、人々のカルチャーのようなものが大きく変わって、人々がこういった前向きな状況を高く評価するようになってきています。こうした動きが今ではアメリカ全土で起こっていますし、世界でも起きていますよね。中でもLAではとってもその動きが強いし、NY,サンフランシスコ、オースティン、といったリベラルな地域では『GOOD』のアイディアは強く浸透しています。

面白いことに、私たちの競合相手みたいなのは2種類あって、一つ目は「環境」とか「アート」とか一つの分野に焦点を当てている人たちで、二つ目が大手のメディアになります。前者は例えば、Tree Hugger.comみたいな「環境」というひとつの分野で活動している団体で、スタンスはとても自分たちと近いのですが、彼らがやっているのは「環境」のことのみなんです。始めのときに自分たちは、『GOOD』は環境だけとかではなくて、広い意味で「GOOD」(いいこと)に焦点を当てようと思いました。クリエイティブなことに関われる形の「GOOD」(よいこと)に焦点を当てながら、世界に革新的に関わっていくという点で(他の専門メディアとの)違いが出せると思っています。

後者の大手メディアですが、最近では私たちが取り上げているような情報をどんどん取り上げてきているんですよね。もちろんこれは私たちが作り上げてきたカルチャーが国内で根付いてきているからこそだと思っていますし、私たちのアイディアは多くの人たちに理解をされてきたからなのだと思っています。これからの私たちの役割は、”次のステップ”を探している人たちに何かを提供することなのかと思っています。「私たちは『GOOD』に共感しています。そして次に私たちには何ができるのかな?」と考えている人たちですね。私たちがこれまでやってきたことは、まず雑誌で社会起業家などに焦点を当て、それに携わっている人たちとか、プロジェクトとか、ビジネスとかを取り上げることでした。それらの力を使って世界をもっと良いものにしてこようと思っていました。次にできるのはそういう人たちを繋げていくっていうのがいいことなのかなと思っています。ムーブメントを起こすみたいな感じで。でも、『GOOD』に賛同する大多数の人々は、自分たちで自分の組織や団体を作ることにはまだ準備ができていなかったりするけれども何かをやりたいと思っている人たちなんですよ。だから彼らを支援することで大きなムーブメントを起こしていきたいですね。

2.人が集まることが一番大事。

いま話があったようにムーブメントを起こしていくために何が必要ですか? 構想や既に取り組まれている具体的な活動などがあれば教えてください。

リアルでインタラクティブなコミュニケーションの”場”を創ろうとしています。ライブイベントなどで、人と人が実際に会う機会があるのはすごくパワフルですからね。確かにウェブなどを使えば同時に何百人の人と接することはできるのに対して、イベントはせいぜい50人ぐらいにしか訴求できませんよね。その意味でウェブの方が効率的に見えるかもしれません。でも私たちはそうではなく、その50人に会うってことはとっても意味があって、ウエブでは考えられないくらいインパクトを持っていると思っています。オンラインでディスカッションとかコメントをしあったりすることはできるけれども、新しいことをそこで始めるってことはなかなかできないですよね。でも、イベントでは今まで会ったことのない人たちがそこの場所で出会って実際に新しいことを起こしたりすることができるのですよ。だから、リアルのイベントというのはとっても”力”があると思っています。去年はアメリカ全土でおそらく15くらいのイベントを行いました。そのうち大きなものとしては、NYとサンフランシスコで1000人規模のパーティーを行ったんですね。サンフランシスコではストリートでやりました。ひとつのストリートを通行止めにしてそこで『GOOD』のイベントを行いました。とても楽しいものでしたよ。ビジネスやお店なんかを巻き込んでショーとかもやってストリートフェアみたいなことをしました。

それから私たちの会社の一階にはサロンがあって、そこでもパーティーとかしますね。例えば去年の12月には2週間毎日イベントをやりました。クレージーですよね(笑)。でも、すごく楽しかったです。オープニングナイトはパーティーをやり、それからは3回映画上映会をやりました。ただ白い壁に映画を映して椅子をたくさん並べ、その映画のディレクターや関係者を呼んで、その人たちが映画について話したり質疑応答したりしたんですよ。映画はドキュメンタリーで、政治についてとかアートについて扱ったものでした。それから2週間のパーティーの中ではパネルディスカッションをしたり、2日間かけてプレゼンテーション大会を行いました。プレゼンテーション大会では、7人のデザイナーが集まって、一人5分のプレゼンテーションを行いました。私たちはこうしたことは短くコンパクトにまとめるのがいいと思っています。全体で1時間20分くらいで終わりましたね。

すごいですね。そうしたイベントは無料なのですか?

『GOOD』にはスポンサーがついているので、イベントは無料で行っています。でも、おそらく将来的には有料のイベントもやっていけるかと思っています。『GOOD』では他にも色んなタイプのイベントをやっています。昼間にはワークショップをやったりしています。地元の人たちのガーデニングワークショップだったり、アートクラフトワークショップだったり、裁縫だったり。あと、週末のイベントではローカルワールドフェアというのをやりました。15人ほどの地元のクリエイターやクラフト系の人たちが自分たちの作品を展示したりするものです。作品は植物だったり枕だったり、小さなノートだったりするのですが、かっこいい(Cool)ですよ。時々はパートナーとして参加して、例えば本屋さんの中の一角でやったりします。絶対に言えることは、人が集まるってことはすごく大切なことだということですね。

インタラクティブ性を考えていくと、『GOOD』とういメディアは必ずしも雑誌ではないほうがいいかもしれませんね。例えばウェブだとか。

確かにその通りです。ただ『GOOD』はもともと雑誌を作るというところから始まったのです。自分たちがやりたいことをしようと考えたときに、それが雑誌というアイディアでした。もともと最終的にはウエブサイトは重要だと思って、将来的にはもっとウェブサイトを充実させていこうと現在では思っていますが、その当時は競争も激しかったですし、また自分たちのアイデアもそこまでクリアではなかったのです。加えて創立者の一人のお父さんが雑誌をいくつか作っていた人でもあって、雑誌についての知識もかなり知っていたということもありました。何より私自身雑誌が大好きだったのです(笑)。もちろん今となっては雑誌というメディアを他の人には勧めませんけどね。とてもお金がかかりますから。でも私たちは雑誌を選択したことでビジネスが上手く行ったとも思っているんですよ。ニューススタンド(駅の売店みたいなところ)でいつも人目につくことで、ブランディングのツールとしても価値を発揮してくれました。おかげで早く。そして強烈に『GOOD』のブランドも確立できたと思っています。ウエブだったらこうは行かなかったと思います。その意味では雑誌の価値はありますね。

3.シンプルであることが重要

『GOOD』をみていると、インフォグラフィックをうまく使っている印象があります。表現方法において何を一番重視されているのでしょうか?

雑誌でインフォグラフィックを使うことで、誰にでもわかりやすくするということを意図的に行っています。トップダウン(上から下へ)とボトムアップ(底上げ)のバランスを大切にしています。すべてのメディアは100%ボトムアップしていますよね。でも100%のボトムアップはツールでしかなくて、意味をあんまり持たないと思っています。そのため、われわれはバランスを考え時にはトップダウンの方向でものを考え、フィルタリングをしたり編集したりしています。しかし、ボトムアップの気持ちも十分に残しつつ行っています。でも、100%トップダウンだったり100%ボトムアップだったりしたら成り立たないと思っています。

読者の対象としては万人向けに作ったというよりは知識を持った人を対象にしているように思うのですがその点はどうなのですか?

そうですね。それなので現在はもう少し読者層を広げたいと思っていますよ。ただメディアとしては読者がだれなのか、ターゲットが誰なのかということを作り手が知るということはとても重要ですよね。それは同時に”仮のターゲット”であったりしますけどね。なぜかっていうとこの手の雑誌は今までのターゲットとは違って色んな異なった場所から来る人たちをターゲットとしているので、ちょっと大きな挑戦なんですね。例えばゴルフの雑誌を作りたいとしたときに、ゴルフのほかの雑誌を見てどういうことをしているかとかを研究しますよね。でも、『GOOD』の場合はコンセプトがとても広くて、とても種類がおおいので、ターゲットを決めるというよりは自分がやっているものに集まってきてもらうような感じになっています。

万人向けにしていくためには、例えばセレブリティを使うといった方法もありますけど。

確かにそうですね。でも『GOOD』では使いません。なぜなら、そういった形にはしたいと思わないからです。『GOOD』はセレブリティを使ってまでマス(大衆)へのアピールはしようとおもっていません。その人にただついていくというだけのセレブリティのファンにはとくに興味がありません。セレブリティがやっているからいいこと(GOOD)をしようというのではなく、インスピレーションをもって『GOOD』のコンセプトを実感してほしいと思っているんですね。

表現をしていく上で、参考にしているものや気になっているものはありますか?

もちろんたくさんの異なったウエブサイトを見ていますよ。自分にとってはいろんなウエブサイトを見ていろいろとインスピレーションをもらっています。状況によって異なりますが、メディアやニュースのウエブサイトを見たりしています。最近はTwitterが面白いと思っていますね。これはおかしな小さなツールでしかないのですが、これを使っている人たちにはとても面白い現象が起こっているんです。最初はまったく興味がなかったのですが、やってみたらとっても面白くて、ネットワーキングや影響力がとてもあるんです。あとは、中村勇吾さんのFFFFOUND!(ファウンド)が好きです。イメージバンクですね。これはとっても驚きですよ。こんなシンプルなことを行えていて。シンプルなのがウエブサイトの重要な鍵ですよね。またはシンプルなアイディアやインターフェイスのなかで複雑なことが行われていたりしますよね。そういうところから刺激を受けています。

ツールとメディアのバランスが重要だと思っています。アメリカのウエブサイトでhuffington postというのがあるのですが、これはニュースのウエブサイトなのですが、コレがすごいんですよ。とても成功している例だと思います。常に更新をしていて、最新のニュースが掲載されており、そしてブログネットワークも持っていて、リンクも多くされていて、時々はニューヨークタイムズやCNNなんかともリンクされていて、ともかくこのウエブサイトのニュースは最先端でほとんど元のニュースよりも興味深い内容なんですよ。

ニュースを配信しているだけじゃなくて、そのニュースについて人々が意見を言い合ったり共有し合ったり出来るといったものなのですね。『GOOD』のウェブサイトではその中で人々が意見を交換したりする場を設けられているのですか?

一応やってはいますが、現在のところは結構シンプルな形になっていてコメントがつけられたりする程度なのです。時々そこでディスカッションが行われたりしていますね。今はそれほど面白い感じではないので、これからどうやってコミュニティを作っていくのかを模索しているところです。

4.ソーシャルデザインの未来

『GOOD』は、これからどういう方向に向かっていこうと思っているのですか?

面白いことに、この数週間の東京での旅は自分にとってとても貴重な経験で、ネットワークを構築していくということはとても重要なことなのだと実感しました。今はまだ自分でもどんな形を創っていけるのかわからないけれど、(日本という)こんな遠くの場所でとっても興味深いすごいことをやっている人たちがいるということが分かったので、これからはこうした人たちと繋がっていって自分たちの団体も強めていきたいと思っています。すごくたくさんの方法で行うことができると思うのです。例えば屋上で植物を育てたり、メディアを作り始めたり、エコシステムを作ったりして。そうやって良いサイクルを作っていくことの一端を担えるといいと思います。そのようなことがいま私たちが中で話していることですね。

今回私は初めて日本に来たのですが、とても多くのことを学びましたし、『GOOD』のやっているような活動は、これからもっとはグローバルであるのだろうと思います。これは総合的にどんどん世界で強まっていることだと思います。どんどん世界は同じ考え方を共有するという意味で小さくなっていると思います。けれども逆に大きくなっているという気もして、例えばコミュニケーションの壁があるのが現実だし、距離があるのもとても大きいし。だから自分の中での課題は「どうやったらグローバル(国際的)にできるんだろう?」ってことです。しかし同時に自分たちはローカル(地域に根差している)と思います(笑)。だって、自分が世界のいいことを全部できるわけですからね。だから、自分たちでベストのことをどうやっていくかが重要だし、そうやってベストを尽くしている人たちとどう繋がっていくかということが重要になってくるのだと思います。

今回ケーシーさんは、「ソーシャルデザイン・フォーラム」に参加するために来日されたわけですが、日本では「ソーシャルデザイン」という言葉はまだまだ曖昧な気がしています。そもそも米国では定着していて、定義は明確になっている言葉なのですか?

いや、それはないですね。「ソーシャルデザイン」という用語はアメリカにはない言葉です。もちろんこの用語は意にかなっていると思います。ただ、デザインの世界でこのような言葉をつかうとしたら「design for social impact(社会的影響のためのデザイン)」ですね。そして、去年Cooper-Hewitt Museum(NYのデザインユニオン)で「design for the other 90%(他の90%のためのデザイン)」というショーがありました。そこでは、デザインは世界の上から10%にいるお金持ちの人たちのためにやっているという印象があると思うのですが、この企画はその10%ではなくほかの90%の人のためにデザインをしようというアイディアをお祝いをしようというものでした。それが発展途上国だったり、国内の上のほうにいない90%の人たちだったりします。というわけで、実際に「ソーシャルデザイン」のコンセプトについてはこのようにかなり浸透してきてはいますが、「ソーシャルデザイン」という言葉はまだまだ曖昧ですね。

『GOOD』の最新号「the state of planet」では自分たちがソーシャルデザインのどこの部分にいるのかということを示していますが、このページ(p62)では2008に行われたアメリカで行われたソーシャルデザインの傾向みたいなものが掲載されています。去年確かにちょっと風向きが変わってきて、デザインが飾りたてる手段というところからデザインが物事を変える(動かす)ための手段として使われるようになりました。自分やIDEOのバレリーたちもこのイベントに参加してデザインの力で社会を変化させるというこの「design for other 90%」に参加して、確実にデザインの役割が方向転換してきているのを実感しました。デザインが「かわいい」というものから「問題解決の手段」になるということがわかってきたのです。そのようなわけで、「ソーシャルデザイン」という活動自体は確実に生まれてきています。ただ、この用語としては新しく作られて使われているかというとそれはまだそれほどではないと思います。

自分が最近聞いた中でとても良いと思った言葉は「comprehensive design(包括的デザイン)」ですね。これは歴史をさかのぼるとデザインは何かを形作るために使われていました。それから、20世紀やモダニズムのなかでは形(フォーム)や機能(ファンクション)のために使われてきました。フォームと機能がお互いに感化されてデザインをしていくという形で行われていたと思います。そして現在のデザインは社会の中でのサステイナビリティ(持続性)として注目されていると思います。(一緒に来日した)バレリーもマックスも自分もこの「comprehensive design」のアイディアには興奮していて、デザインがここにあって、ソーシャルデザインがここにあって、そして持続的なデザインがここにあって、とひとつひとつが独立したものではなくて、総合的にデザインであるという考え方なんだなということを共感しています。

ケーシーさんのベースにあるのはデザインのようですが、大学で学ばれたのですか?

デザイン専攻ではありませんでした。建築学と都市学を勉強していました。建築学といってもアートヒストリーのようなものをやったりしていました。実際に図面を書くというのではなく、セオリーを学ぶというようなことをしていました。ある夏に私は大学院の6週間の集中講座をとったのですが、ものすごくハードな勉強で生涯の勉強の中で一番勉強した6週間でしたが、そこですべてのものがひとつの質問からあるということをしりました。それは「WHY(なぜ)」です。例えば何かひとつのデザインを観たときに、「なぜこれをしたのか?」という質問が来て、それに答えられなかったらそのデザインのすべてが間違っているのだということなんですね。それがその時にデザインについて学んだことです。すべての段階で「なぜ」を答えられなければいけないとし、それが答えられなかったら最終的にデザインが滅茶苦茶になってしまうということです。だから自分がすべての点で答えれたデザインは良いデザインとして出せるということだと信じています。その視点で『GOOD』は創っているんですよ。

インタビュー後記

来日の疲れも見せずに、インタビューに応じてくれたケーシーさん。アメリカ帰国後も気軽にメールしてくれたりと、そのフランクな姿勢に共感です。約束どおり日米間のいいネットワークを創っていきましょうね!これからも宜しく御願いします。(早田)

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#010 コンセプターの描くミライ~”デザインのたくらみ”方

プロダクトデザインを中心に、次々と社会に対してインパクトを与えてきたコンセプター坂井直樹さん。ファッションデザインからスタートした坂井さんの活動は業界のボーダーを越え、あらゆる種類のプロダクトへと拡がりをみせている。こうした坂井さんの活動は狭義の”デザイン”の枠を超え、”デザイン”の本来持つポテンシャルの追及、デザインの再定義へつながっているようだ。最近では慶應大学での活動も加わって、そのフィールドは更に拡大中。そんな坂井さんにソーシャル×デザインの学び方について聞いてみた。

PROFILE

坂井直樹
コンセプター/ウォーター・デザインスコープ代表
1947年京都市生まれ。1966年京都市立芸術大学デザイン学科入学後、渡米。1969年ヒッピーたちとTattooT-shirt(刺青プリント Tシャツ)を売り、大当たりする。1973年帰国後に株式会社 ウォータースタジオを設立。1987年日産「Be-1」を世に送りだし、一躍時代の寵児となる。2005年au design projectからコンセプトモデル「MACHINA」と「HEXAGON」の2機種を発表。その他ジョージア”ワンセグTV”、ベビーカー、ガスレンジなど数多くのプロダクトを手がける。2006年auの社外デザインプロデューサーに就任。2007年新メディアサイト【emo-TV(エモティービー)】をOPEN。2008年4月慶應大学政策・メディア研究科教授に就任。

1.坂井直樹を説明できない。

これまで社会的に様々なインパクトを与えてこられた坂井さんですが、その活動の幅はとても多岐に渡っていますね。現在は新たに大学で教壇に立たれるなど新しいチャレンジをされているわけですが、こうした活動は常に戦略的に、計画的に行われているのですか。

残念ながら、まったく狙って実施しているものではありません。というのもこれまでの活動の基本にあるのは自分自身が作りたいものをつくってきた。ただそれだけのことなんですね。それも計画的にというのではなく、わりと本能的に目の前のことをいきなりやってきた。そしてなぜかその内のいくつかのプロジェクトが時代の変節点でうまくいったり、世界を大きく変えることにつながったりしてしまったわけです。

例えば日産自動車との「Be-1」のプロジェクトにしてもそうですね。車にまったく関心がなく免許ももっていない、知識もまったくないカーデザインはもちろんプロダクトデザインの勉強もしていない人間がいきなりやってしまうわけです。それがなぜかうまくいってしまった。私が「Be-1」でやりたかったことは「風景を変えてみたい」ということでした。街の中に四角い車しか走っていない、その殺風景な風景を変えたいなと思った。ただそういう思いを実現していくことが、結果的に世界を変えていくことになるんですね。不思議ですけど。

大学で教え始めて非常に苦労しているのですが、お話したように私の活動というのはロールモデルにとてもなりにくいわけです。プロセスが飛んでいるわけですからね(笑)私自身もうまく説明できないんですよ。ありがたいことに周囲の方々が”坂井直樹”を説明して下さるので助かっていますけどね。

ただもし私の活動が社会にインパクトを与えることができた点について、どうしても説明しなければならないとしたら、私のやってたことにオリジナリティやクリエイティビティがあったからだと思うんですね。これは私の信条なんですが、「誰かがやったことをやってもしょうがないし、時間の無駄」「まだ誰もやったことがないことだからこそやる価値がある」と思っています。こうしたオリジナリティを追求する姿勢が世界を大きく変えることにつながってきたのではないでしょうか。

ついでに、よくいろんな分野のプロダクトデザインをするので不思議に思われることがあるのですが、デザインという視点からみればみんな同じことをやっているわけですね。例えばオリンパスの「O-Product」なんかそうですが、最初の着目点は従来のカメラの持つ「黒のプラスチックの外装というのは如何なものか?」という問いかけでした。とても違和感があったわけです。そこでまず素材を選ぶところからプロジェクトを始めました。その意味ではファッションデザイン的なんですね。ファッションデザイナーというのはまず素材を選ぶところから始まるわけですから。自動車や時計をデザインしても同じような視点でやっていますから、ずっとファッションデザインをやってきたともいえますね。最近は隈研吾さんなんかが建築でそういうやりかたしています。建築の方で素材から入るというのは珍しいですね。

このように、たまたま関心がいってしまったことを掘り下げていくうちに今の自分ができてしまったわけです。私自身が坂井直樹を説明できないのはそこにある。でもみなさんが説明して頂くとちょうどいいんですよ。それにそのおかげでいろんな若い人が僕を訪ねてくれるわけです。今日もそうです。そこでいろんな出会いがおきて、出来事がおきていくわけです。そうやってつながっていくことが今はとても楽しみです。

2.テーマは60年代から変わっていない。

坂井さんの活動の原点はヒッピー文化、60年代のアメリカにあるように思うのですが、その点をどう捉えられていますか。

“時代”が人を創るって言うのはあるんですよね。それからサンフランシスコやニューヨークという”都市”が人間を創るという側面もあります。だから今の自分になったというのは60年代という時代が私達を育てたわけで、個人の固有の才能でこうなったわけではないという感覚を持っています。

スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』が公開されたのが1968年。同じ年、機械式時計がクオーツに変わっています。いろんなテクノロジーの変化が起こり始めたのがこの時代。と同時に様々な社会課題が指摘され始めた。その流れの中で同じ1968年に「ホールアース(全地球)カタログ」が出版されています。これはスティーブジョブスがグーグルの元祖になったと公言している”地球上のどこでもサバイブしていく方法”が示されている本、当時のヒッピーの間でベストセラーになったものです。この本は社会を「消費」に向かって駆り立てるためのものではなく、地球という惑星の上でヒトとして自立して生きるための手がかりを提供しようというものです。パラダイムシフトしていくべき時代のタネのようなものが全てここで提示されていたのではないでしょうか。

1978年にマスキー法ができて排ガス規制が行われるわけですが、この頃からエコロジーに関する問題意識は叫ばれ始め、また人種問題に関する動きも顕在化し始めていました。ウーマンズレボリューション、ゲイパワー、ブラックパワー、フラワーもそう。そういうマイノリティの解放運動が拡がっていて、世界が大きく変わるなという感じがしていましたね。スティーブジョブスなんかもそのあたりの影響を受けている人の一人でしょう。不思議なパワーのあった時代です。でも僕たちが思ったほど、世界は変わらなかったですね。公民権運動があって、ドクターキングが亡くなって、確かに黒人は平等に扱おうという法律はできたけど、人種差別は実際に続いていくわけですから。

ただそれもこれから変わっていくのだと思います。60年代に市民運動として出てきた課題を、今はもっとグローバルに、国家単位や企業単位でやらないといけなくなったわけです。より問題が社会化したと言ってもいい。そのように一定の時間軸で俯瞰してみると、結局”お題”は数十年間変わっていないとういことが分かってくる。面白いですね。

常に問題意識というか、アンテナを高く立てていらっしゃるのですか?

好奇心は常にありますね。ただ勉強的な感覚やそれを意識的に集めたりはしていません。ちょっと”情報”に関してはジャンキーなところがあって、「本」もそうだし「インターネット」もそう。常に触れている時間が長いですね。あとは何といっても「人」です。世界中にいる友人から情報を常に仕入れています。様々な専門領域を持つ友人たちが世界中に散らばっていて、しょっちゅうメールでやりとりしています。だから何が世界でおきているか分かりますね。もちろん直接会ってもいます。毎日数十人と会っているのではないでしょうか。その上、”質問魔”なんですよ。聞くこと好きなんですね。自分のしゃべっていることって自分の知識の範囲内なわけですが、質問すると自分の知らないことに出会える可能性がありますから。

3.面白いかどうか、ただそれだけ。

最近、坂井さんが興味をもていらっしゃることについて教えてください。

エンジニアリングをもっと面白くみせてやろうということをやっています。例えば慶應ではデザインとエンジニアリングを結びつけようという切り口でやっています。特に最近では通信デバイスに関心を持っていますね。あらゆるものに通信のディバイスがはいっていくわけで、それによって社会がどうかわっていくか楽しみにしていますね。こうした技術をいかに面白がるか、それが大切です。技術を機能面だけで捉えすぎている人が多いような気がしています。技術って役に立つことも大切だけど、もっと面白いというところから説明した方がいいかなというのが問題意識としてあるんですね。

なぜなら役に立つ視点だけだと全ての商品がコモディティ化してしまうからです。それでは価値創造という世界から遠ざかりますよね。それに利益だって減少してしまう。人々は楽しいことのためには投資するのに、今は投資したくなるものがないわけです。例えばトヨタなどのメーカーが抱えている問題というのは生産技術など機能面を追及した結果、生産性が過剰になりすぎたというところにあるのではないでしょうか。効率を追求し、カローラを90秒に1台つくれるようになったけど、90秒に1台ほしい人はいないということですよね。簡単にいえば。

また現在のマーケティング志向にも問題点もたくさんあると思います。最も危険なのは、机上で市場や顧客をカテゴライズして平均的なタイプを割り出し、そこにターゲット絞るというやり方をしてしまうこと。本当にそのタイプの人はいるのか?考えてみる必要があるのだと思います。ひょっとするとそれは一種の妄想のようなものかもしれません。架空のイメージでものを創りすぎている気がします。もっと現実の個人が欲しいものをリアルに追求していく姿勢が必要だと思いますね。まずは自分の作りたいものを創る姿勢が大切なのではないでしょうか。例えば、ポルシェやアップルのようにね。そうやっていると、必ずその企業がないと困る人が出てくると思います。そこが重要なんです。その企業や製品がなくても困る人がいない、というのでは企業の存在意味がなんかないですよね。

そのためにも、いつも面白いことをしていたいですね。まず自分が面白いかどうかというが重要です。プライベートもビジネスも関係ない。24時間オンとオフが混じっている状態です。こういう状況を創れるのも、自分自身が一度も社員になったことがない、そういう人間特有の考え方なのかもしれないですね。遊びと仕事の意味がよくわかっていないですから。あえて分けるとすると、同じ行為をするとしても、お金をもらえるのが仕事で、お金が減っていくものが遊びということかもしれませんね(笑)。

これからの時代に必要なソーシャルデザイナーの要件とは何でしょうか。

よく学生にも言うのですが、これからは少なくとも二つぐらいの専門分野がないとユニークなことができないのではないかと思っています。デザイナーで医者でもある川崎和男さんや、科学者で芸術家である山中俊治さんなどが一つのモデルですね。例えば、川崎さんは人工心臓をつくっていますが、あれは医者のスキルだけではつくれません。まず絵がかけませんから。一方デザイナーだけでは心臓つくれませんよね。そこで医者でありデザイナーであるという重要性がでていくるわけです。

こうした複数の専門性を持つことは、ルネッサンスまでというのは普通に行われてきたこと。例えばダビンチなんていうのは数十の専門分野の学問を習得していたわけです。だから現在、慶應でも通常の学部として教えていることと合わせて、アートスクールで教えるようなことを私はやっているわけです。もちろんそれによってデザイナーになる必要はなく、デザイナーに対してディレクションできるようになってほしいわけですね。

それから常識を疑ってかかる姿勢も必要です。学生たちをみていると例えば、グーグルが未来永劫に反映し続いていく企業だと捉えているようなところがありますね。でもそんなことありえないわけでしょう。その意味で、目の前の現象に対して批判する精神を失っているのかもしれません。常識とされていことを疑っていくことはクリエイティブな生き方に欠かせないことだと思いますね。

インタビュー後記

坂井さんの著書『デザインのたくらみ』の最終章「坂井直樹的デザイン」の中に、次のようなくだりがある。「今後『デザイン』と『人間』の関係はどうなるか。まず考えるべきは、エコやリサイクルなど社会と人間の新しいスタイルだろう。社会の欲望と、人間が持つ根源的な欲望を、どう共生させるか。『デザインのたくらみ』はモノからシステムへ、社会全体を巻き込んで進化し続けるのだ。」当たり前だけど、とても基本的な考え方です。このセンテンスに惹かれて今回お話を聞くことにしたのですが、その部分がインタビューの中でうまく引き出せたかどうか、若干不安です。そうした意図の断片だけでもこの中で伝わってくれるとうれしいです。是非、坂井さんとは未来に向かって面白いプロジェクトご一緒したいと思っています。次回はお約束し通りインタビューではなく、遊びに伺いますね!今後とも、宜しくお願いします。
PS:今回のインタビューに当たって接点を創ってくれた勝屋さんにもこの場をかりて感謝です。ありがとうございました!たくさんの”つながり”を創っていきたいと思っています。(早田)

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